フランキー・マシーンの冬(ドン・ウィンズロウ)

 冒頭、かなりの分量を割いて主人公フランクの送る日常の描写が続きます。ここから分かるのは彼が些細なことも疎かにしない「流儀」のある男だということ。思い出したのは『高く孤独な道を行け』で、ニールが師であるジョー・グレアムの「靴磨きや朝食を作るような一見瑣末な事どもを軽んじてはいけない」という教えを反芻する場面でした。小さなことをゆるがせにしないということは、人生において筋を通すことを第一義とするということ。顧みると、作者は一貫してそういう「信念に殉ずる者たち」を描いてきたのだと思います。(正直、上下巻全部フランクの日常の話でも良かったくらい。)
 さて今回気付いたのが、「心ならずも始めてしまった仕事に生まれついての素質があって、周囲から求められるままに力を発揮するうちに、いつしか人生が才能によって規定されてしまう」というモチーフ。フランクの「殺しに天賦の才がある」という部分は『犬の力』のカランのヴァリアントですね。考えてみたら、そもそもニールからしてそういう主人公でした。殺しの才能というほど突飛なものでなくても、実体験として「必ずしも好きではない仕事が廻ってきたけれど、実際やってみると存外上手くやれてしまったせいで(また一方で十全に力が発揮されることの自身の快感もあって)、気が付いたら「その仕事」にはまっていた」ということはあるのではないかと思います。もっと話を広げると、人生においては「向いてないけど好きな仕事」を選ぶべきか、それとも「好きではないけど適性がある仕事」を選んだ方が幸せなのか、という問題にも通じるような・・・
 ところで途中まで4点を付けたいぐらいには楽しんでいたのですが、主人公の若い頃からの相棒であるマイクが「ショーガールをコカイン漬けにした上で、売春をさせて2倍稼ぐ」という商売を思いつくというくだりがどうしても飲み下せなかった。元々文字通りのヤクザ稼業なんだから、きれいごとといえばそうなのですが、フランクはある種高潔なキャラクターとして設定されているはずなのにアンバランスだなと。その商売の片棒こそ担がなかったかもしれないけれど看過していたのは間違いない訳で。逆にドロドロ黒々したピカレスク小説として一貫していたら気にならなかったと思うのだけど・・・
☆☆☆1/2(☆半分減)
※言及される『ゴッドファーザー』より『スカーフェイス』な世界観でしたね。