今監督は、やっぱり良くも悪くも破綻をよしとしない人なんだと改めて思いました。
ところで創作物全般にいえることだけど、批評の場では「規範を逸脱するような突出した要素」をもって高く評価するような傾向や風潮があると思うのだけど(いびつさをこそ愛でる、的な)、全面的にはそれを肯定できない気がする。ウェルメイドというと別の色がついてしまった言葉なのであれですが、カッチリまとめた作品の中にも鑑賞後(読後)に「何かを経験させてもらった」という感覚が確かに残るものがあると思うので。(最近の作品で挙げるなら『ゆれる』が一番いい例だと思います。)
ただこの映画は、「完璧に構築していながらどっしり残るものがある」訳ではなかった。技術的には日本のアニメの最高水準を示している作品であるにも関わらず、言語化しがたい部分で食い足りなさがあった。劇中のあふれ出す悪夢の描写に奇抜さがあった一方で「何かまずいものを覗き見した」様な背徳感とは無縁だったことと対応関係にあるような気もする(と書いてしまうと過剰さ肯定主義と選ぶところがない感じだけど)。
というよりも、告白してしまうと筒井康隆原作というところで性的妄想を映画としてどう処理するのかという部分に落胆したのかも。中学時代に読んだ『エディプスの恋人』が性的トラウマとなった身には・・・
千葉先生⇔パプリカの振幅の大きさを踏まえての林原めぐみ起用だったと思うけれど、パプリカはともかく、千葉敦子の成熟した女性の色香を支えきれていなかったような。明らかにキャラクターデザインも千葉先生の方が魅力的に造型されていたのに・・・
☆☆☆1/2