スピカ・原発占拠(高嶋哲夫)

たくさん読みこんでいる訳ではないので断言はできないけれど、最近の日本の冒険小説、もっと絞り込んで言うと「ハリウッドアクション映画」的な文法で書かれた小説は、どうも浅い。

今度映画化されて話題になっている「亡国のイージス」やちょっと前なら「ホワイト・アウト」なんかは、小説の構成が前者は「ザ・ロック」、後者は「ダイ・ハード」であった。構成が似てるからってすぐさまパクリとはいわないが、けれどもどちらもパクリの謗りを免れないくらいの類似点の多さだった。

しかし類似点の多さも、全体として面白ければ個人的にはOKだと考えている。実は問題だと思うのは、そういった「日本を舞台にした」冒険小説での悪役のモチベーションと計画のアクチュアリティである。上に挙げた作品で僕が読んでいて萎えてしまったポイントは、動機さえもまんまひねらずに導入してしまっていたところ。そこさえしっかりしていたら気持ちよく読めたと思うのだが。(計画のアクチュアリティというのは、このジャンルの小説批評では結構言及されてる印象があるが)むしろ日本を舞台にしてハリウッドチックな冒険小説が成立するのか?というのはその点に懸かっているはずだから。

そこでこの作品だが、原子力発電所を乗っ取るという舞台設定は2001年の発表当時では旬なネタだし、アクチュアルでもあったと思う。また作者が元原発関係者ということで(本当なのかな?)施設の説明についても比較的詳細な描写がされている(ただ入門書を読めば書ける程度だと思う)。

もう一方の「動機の設定」については、「誇大妄想の国粋主義者原発に警鐘を鳴らしたいと考えている科学者」が敵役というのは残念ながらやっぱり説得力がなかった。海外作品なら納得させられるというのは、「海外」という名の一種のファンタジー世界として読者にバイアスがかかっているから、でもあるだろうけれど、やっぱり空港なんかに自動小銃をもった軍服の人が普通にいる世界と日本では現実味が格段に違う。

あと登場人物の造形が、明らかに「死にキャラ」と初登場時に分かってしまうのもいかがなものかと。殺し方の設定も安い。その点「亡国のイージス」のストーリーテリングはやっぱり上手だったんだなあ。