今頃になって漸く読みました。何だか流行っている時分は手を出せなくて。今更ネタバレもないもんだ、とも思うのですが、もしかしたら内容に触れてしまっている箇所が出てくるかもしれません。以下、感想メモ。
・ライトノベルとの類縁性や、ふかえり=綾波説などがかまびすしかった印象がありますが、そもそもセカイ系的世界観を志向するような作家たちには村上作品の影響が大なり小なりあった訳で。とはいえ、初期作品のタイトでソリッドな構成と比較すると「ゆるい」つくりだったのは確か。
・作中、深田絵里子を「ふかえり」って略したのは誰なのか?作者としては異化効果を狙ったのかもしれないけれど、必要あったかな。ところでネーミング関係は、深田恭子とか安達祐実みたいな実在の人が浮かんでしまって微妙でした。
・『羊をめぐる冒険』や『ハードボイルド・ワンダーランド』はもちろんのこと、そのものずばりではない作品でもハードボイルドの形式を援用している作者ですが、今回はかなりエンターテインメントに舵を切っていたのが印象深い。という訳で個人的には「牛河」のパートが一番好きでした。
・そして何でもない料理の手順を記述しているだけなのに、すごく美味しそうにみせてしまうことでも知られる作者ですが、今回は銃のメンテナンスや牛河の調査の進め方みたいな記述にとりわけ惹かれました。まさしくルーティーン・シズル感!毀誉褒貶あるけれど、こういった描写に関しては村上春樹は他の作家の追随を許さない感じ。
・青豆のハードボイルドな生き様は格好良かったのだけど、自分のことを「青豆さん」と呼んじゃうのはどうか・・・それってプロフェッショナルとして「クールでタフ」ではないような。
・実はギリギリまで「青豆のパート」は、「空気さなぎ」に触発された天吾がかくあれかしという希望を込めて書き進めていた作中作だと思ってました(自分自身の作品を書いているという描写もありましたよね)。それがある時点で具現化、合流する、いうなれば『はてしない物語』形式を予想。しかして実際は『ワンダーランド駅で』形式だったという。
・女と見れば胸の大きさを想像してしまう主人公は正直ちょっとどうかしてると思うのだけど、世の男は平熱でそういう妄想に駆られるものなの?(何度か書いてますが、ニコルソン・ベイカーの『フェルマータ』を読んだ時もそれが疑問で。俺が草食すぎるのか?)『はてしない物語』ついでにいうと、リアルライフがストイックな村上春樹の作品が欲望全開で、実生活のそちら方面が奔放なエンデの作品がストイックというのは面白いですね。
・ともあれ自分が飯を食えているのは、思惑と思惑が流通する大規模なシステムの流れの果てにたまさか漂着したからなんだな、と漠然とその仕組みを想像して途方にくれることがあるのだけど、多分それをアカデミックな言葉で記述することはできても、本当の意味で全体像を説明することが出来る人なんていない気がする。(まずまず問題なく機能しているから良しとしておこうと現状肯定しているだけで。)そういう「社会を駆動するシステム」の不可解さ、計り知れなさを仮託した存在がリトル・ピープルなんだと思いました。
・この小説を読む直前、偶然チェーホフの作品と『華麗なる賭け』を観ていたので作中その名前が登場した時は驚きました。村上春樹風にいうと「つながっている・・・」。であれば、もうそろそろ謎の美少女が訪ねてきてもいい頃合なんだけど、その気配はないな。やれやれ。
☆☆☆1/2