ろくでなしに片足突っ込んだような亭主連、その内の一人の妻とその弟、そしてエイリアンとタイムマシンの物語。
と、書くと訳が分からない話のようですが、本当にそんな話。でも読後感は不思議と帳尻があってる感じがして、かつ人生の真実を何かしら語っているような印象も・・・(SFマガジン10月号収録)
こういう一見「常識はずれの発想による物語」を読んだ時いつも疑問に思うのは、作者ならではの創作手順みたいなものがあって、ある程度方法論が確立されているものなんだろうか?それとも日々貯めていたアイディアが、ふとした折に物語として結実するような「魔法の瞬間」があるのだろうか?ということ。そしてこういう発想は安易だと我ながら思うけれど、ケリー・リンクに関しては女性作家だからこそなのかなと、つまり「物語が降りてくる巫女」的なイメージを想起してしまうのです。
例えば同じような「ぶっとんでいるけれど哲学的な印象も受ける物語」を書く作家としてラファティがいます。けれども彼の場合、アメリカのトール・テールの伝統や言語学の知識など、要素に還元できる部分があるために何となく納得・安心できる。
ところがリンクの作品はいつも、原初的で皮膚感覚に訴えかけてくるような飲み下せない生々しさを孕んでいて、それが男性からみた女性性そのもののように映るんですね。
最近のSFマガジンでは立て続けにリンクの短中編が訳出されたので、数がそろったら是非単行本化してほしいものです。
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