プロミシング・ヤング・ウーマン(エメラルド・フェネル)

 刮目すべき作品だと思ったけれど、好みではない、という意味で自分にとってはキューブリックの映画みたいでした。以下感想メモとして。(ネタバレです。)

・プロミシング・ヤング・ウーマンという言葉の響きに馴染みがなかったから、どういう意味かと思っていたのですが、プロミシング・ヤングマンという「嘱望された青年」という一般的な言い回しを反転している(女性だって有望なんじゃないの?という含意)捻った題だったんですね。

・終盤の転調(破局)がありますが、キャシーの絶望を想像するだに具合が悪くなりました。せっかく前を向いて歩き始めていたのに可哀そうすぎる。

・ところでキャシーって正式にはなんていう名前だったかな…と思った頃にカサンドラ・トーマスって出てくるから、ああ、定められた運命だったのだな、となりますね。そういうところも巧い。

・両親はいい人たちだと思うのだけど、箱入り娘として可愛がるあまりお人形のように扱っていたのではないか?(特にお母さん。)それが主人公にとってある種の抑圧になっていたのではないか?ファッションフォトでしかお目にかからないような過剰につくりこまれた調度※、チャイルディッシュな普段着からそのような雰囲気が察されます。

・というように、直接的には語られないものの色々な要素に「行間」があって、世界に奥行がありますね。

・結末、そんな両親の絶望たるや、想像するだに…

・運命の歯車が動き出したらあの結末に着地するしかない、いろいろ反芻したけどそうとしか思えない、という身動きが取れなくなるような緻密な物語の設計に唸りました。さすがアカデミー脚本賞だけはある。

・語り口は「復讐する女」ものの枠組みを利用しているけど、各章ごとの区切り、それこそ『キル・ビル』みたいなチャプターを示しているのかと思いきや、ボディカウントの印だったのかー!っていうのも上手かったけど、従来の娯楽作みたいに見終わってスッキリして(フィクションの世界で完結して)終らせないぜ!という姿勢も良かったと思いました。ずっと後を引く感じ。

☆☆☆1/2

※ ソフィア・コッポラ風だなと思ったのだけど、衣装担当は実際にそうでした。美術は『イット・フォローズ』の人だそうです。

※ キャリー・マリガンとボー・バーナムで『セクシーボイスアンドロボ』のハリウッド版が作れそうだな、と思いました。