もっぱら映画についての話なんですが、特にホラーとか復讐ものアクションで顕著な気がするけれど、「登場人物の造形が浅く、もしくはキャラクターの描写に十分な時間を取っていないから、結果、感情移入できなくて、襲われて死のうが生き残ろうがどうでもよくなって結末まで集中できなかった」というレビューが時々ありますね。
書き手の気持ちはよく分かるけど、(そういうのって監督の演出の技量も当然かなり大きなウェイトを占めるのでしょうが)偶然の要素も大きいのだろうな、と思って。
なぜわざわざこういうことを書いているのかというと、『ライリー・ノース』という作品を見ていて、まさにそのことを感じたから。「ごく普通の主婦が家族を殺されたギャングに復讐する」という物語の冒頭で、主人公の平時の描写を結構丁寧に行っているのですが、全然感情移入できなかった。(上手い作品だと5分あれば心を鷲掴みにされますよね。)役者陣の演技は不足ないけれど、エピソードについてはテンプレートをなぞっているだけという印象に終始しました。ところで監督は『96時間』のピエール・モレルです。
人物造形が上手くいっていると観客が感じるパターンは、
仮説①物語(脚本)そのものの出来がよくて、結末まで目が離せないように引き込まれた結果、人物に魅力があったように感じている。
仮説②やはり演出の技能が卓越している。
自分としての結論があるわけではないけど、①と②どちらもありうるし(というのも『96時間』はとても面白くて不満がなかったから)、演出については制作陣(撮影、美術、衣装、サポートスタッフ等)が上手くはまったかどうかという偶然の要素も大きい(打率がいい監督でも毎回ホームランやヒットが打てるわけではない)と思うんですよね。根本的な話をするなら、なんら大きな事件が起こらないドラマでも心が引き込まれる訳だから。そういう意味で、マーベル映画がむしろ全然畑違いとそれまで思われていたドラマ主体のフィルモグラフィの監督を積極的に採用しているのは②の要素を重視しているからなんでしょうね。