かいじゅうたちのいるところ(スパイク・ジョーンズ)

 作品中「かいじゅうたち」の世界に波紋をもたらす、文字どおり「知恵のシンボル」たるフクロウが登場します。しかし、かいじゅう仲間のリーダー格であるキャロルにはその言葉を理解することができません。これは拠って立つ文化が異なるということのメタファーなのだと思うのですが、元恋人であるKWを永遠に奪われるのではないかという苛立ちや焦燥から、キャロルは暴力に走ってしまいます。
 もちろん第一義としては、このくだりは主人公である少年マックスの鏡像としてキャロルの描写なのだけど、それ以外に監督の心情投影のように思われて・・・なんだか元奥さんの『ロスト・イン・トランスレーション』を観たときに感じたような、「気持ちは分かるけれど、そういうことは一人の大人として胸のうちで消化した上で表現としてアウトプットしてくれないかなあ」という気がして。監督には徹底したナンセンス世界を期待してたせいか、ちょっと肩透かしでした。
☆☆☆