「マラソン・マン」が復刊し、先日読了。なるほど、映画もほぼ原作どおりではあった。ただ映画版がほとんどホラー映画チックなサスペンス描写が突出した印象だったのに比べて、原作の方はグロテスクなユーモアとでもいうべき一種独特のテイストが小説の基調をなしている。そのときはこれがゴールドマンのタッチなのかなとひとまず納得していたのだが・・・
ところで、ここ最近の日本のエンターテインメントに「新世紀エヴァンゲリオン」が与えた影響のもっとも大きなものの一つは「残酷描写のためにする非情な展開」ではないか、と最近思う。具体的に説明すると、「強大な組織が大儀をなすために個人を犠牲にする」という描写を肥大化させるということ。作品として挙げるなら「砲神エグザクソン」や「ガンスリンガー・ガール」などが典型。最近の(特に漫画方面)エンターテインメントの編集者を含めた送り手側はそういった残酷な展開があれば単純に「作品として深みがある」と誤解しているのではないか、と心配する。
であるから、上記のような青年誌の連載作品よりも、少年誌掲載の「鋼の錬金術師」の軍の描写や「ワンピース」のCP9の存在などに、むしろ影響の大きさを感じるのだけれど。
回り道をしましたが、「ブラザーズ」について。「マラソン・マン」では兄である工作員シラの物語の陰惨さとバランスをとるように主人公リーヴィの純愛コメディのパートが配置され、作品の構成としても美しかったのだが、この作品はとにかく暴走ぶりがひどい。酷いし、非道い。所謂「スパイ戦の非情な世界」的なエスピオナージュもののパロディを意図してあえて過剰な展開にしているとも思われるのだが、それにしても・・・ しかし抜群のストーリーテリングはここでも健在、作品としては大変のめり込まされる。
結局この作品には形ある「敵」は最後まで姿を現さず、仮想敵を倒すという最終目標のために立場的には味方同士の人間がひたすら殺しあうというブラックな展開となっている。上記の作品に触れたのは、そういう物語を読んでいて、果たして送り手側は物語のあり方について自覚的なのだろうかと疑問に思ったからであった。
読後感はよくないけれど、お勧め。
☆☆☆☆