機械男(マックス・バリー)

 子供のころ電車になりたかった「ぼく」は今、最先端ハイテク企業で研究者をしている。あるとき事故から脚を失った彼は、機械化された義肢を自己流で改良、生来の研究熱に火が付いて「より良い機械の身体」を開発することにのめり込んでいく。だが、利益の追求という企業の本能に忠実な会社がそれを見過ごすはずもなく・・・
 優れたSFには2つの種類があると考えている。ひとつはいわゆるセンス・オブ・ワンダーと呼ばれるような、普通とは違った切り口で捉えることで、世界を全く違った様相で示して見せるような作品。もうひとつは、SFでしか描き出せないような特異な設定で、(半ば強引にでも)読者の意識の変革を迫るようなもの。
 後者であるこの作品では、自分の身体を身体とも思わないようなぞんざいさで機械と置換してしまう主人公のメンタリティがその特異な「ひっかかり」となって読者に提示されます。加えて、むしろ優れた機械に対しての方が熱意をもって関係を築けるような、その他者に対する共感能力の欠如。これについては、一人称小説であるにも関わらず、そのような主人公の性向があぶり出されるところに、作者の描写の巧みさが表れている部分でもあると思う。※1
 ところで結末近く(極限化された果てに…)に至ってようやく気付いたのだけど、ソフトウェアとしての身体を追及した作品が『アルジャーノンに花束を』であるとしたら、これはハードウェアとしての身体を追及したオマージュだったのだな、ということ。主人公の名前がどちらもチャーリーというのも偶然ではないと思う。 
 著者の邦訳前作の『ジェニファー・ガバメント』は、ふたつの企業マイレージ・グループに世界そのものが統合されてしまったというディストピアを舞台としたシニカルなB級路線のSFアクション小説※2だったけど、今回は随分と本気のSFを感じる読後感でした。『ジェニファー〜』も映画化進行中という触れ込みでしたが、今度こそ無事完成するかな?
☆☆☆1/2
※1敵役カールの言動性格にやや不整合があるなど、元ウェブ連載という形式の弱点もあるにはあるのですが。
※2同種の作品の中では傑作だと思います。お薦め。

夢幻の書(ジャック・ヴァンス)

 奇しくも「魔王子シリーズ」ハーフマラソン中にヴァンスの訃報に接したというのも何かの縁だなと思ったり。さておき、漸く読了。開巻当初こそスペースオペラの結構に意識的な作品でしたが、巻を追うごとに明後日の方向に逸脱、「オイクメーニ(魔王子ユニヴァース)ところどころ」のような紀行文を楽しむ案配になってきました。それとともに復讐譚としての側面もやや和らいで、最後まで通して読むとパラノイア達の度が過ぎた遊興のとばっちりを受けた主人公が、きっちりその利子を取り立てに行く「高利貸しもの」みたいになってくるんですね。(以下ネタバレ含みます。)
 大体、作者自身が、稀代の大悪党という1巻目の謳い文句に飽きてきて、そもそもの発端であった「マウントプレザントの大虐殺」とは何を目的にしたものだったのか曖昧にしてしまう始末。個々の魔王子たちも具体的描写を重ねるにつれ、増々小物感がつのってきて。そこで今回の敵、最大の魔王子とされるハワード・アラン・トリーソングですが、これがなんと文字通り中二病から卒業できない男で、タイトルである「夢幻の書」とは「ぼくの考えた最強の仲間たち※1」=邪気眼ノートだったのでした。こういうのって、洋の東西、時代を問わないのだなと興味深かったです。
 さて、何度か書いていますが、「地位も名誉も金もある人物が、思わぬ極限状況に置かれて露呈する本質」というのが作者の好んで取り扱うモチーフのようで。作品の要請するバランスを逸脱するほどのその方面の描写がむしろ個人的には魅力になっているのですが(一般的には作者の特徴として「異世界のエキゾチックな風俗描写」が取り上げられることが多い)、それはこのシリーズでも健在。とくに今回は、「厳格な戒律に縛られた田舎町の因習に反発した夢想家の少年が思わず引き起こした犯罪」という米ミステリでよく見かけるプロット※2との二重奏になっているため、何とも言えない余韻を残します。こういうアンチ・クライマックスな志向がこのシリーズをSF史において特異なポジションにしているのかもしれません。
☆☆☆1/2
※1 最強の仲間である七勇者とは、ストレスから生まれた分裂人格なのですが、書かれた当時、多重人格はフィクションで扱えるほどポピュラーだったのかな?ところで偶然にもキイスの『ビリー・ミリガン』と同じ1981年の作品です。
※2 好んで作家たちから取り上げられるほどに、田舎町の息苦しさというのは切実な問題なんでしょうね。

風立ちぬ(宮崎駿)

 宮崎監督の遺言です、といわれても、何度目だよその遺言、という気分だったのですが、評判を聞いて観に行ってみるとなるほど『ポニョ』とは違った意味で「異形の作品」でした。
 導入部分こそ普通だったけれど(そうでもないか?)、黒川家での婚礼の儀に至っては、スクリーンから狂気にも似たなにかが溢れ出て、そうだ、宮崎作品ってこんな感じだった、と深く得心した次第。何というか面白いとか素晴らしいといった感覚を超えて、むしろ恐ろしいような畏怖の心を呼び起される映画でした。ジブリ作品は止め画だとどれも一見同じように見える(高畑作品除く)し、それこそがジブリをしてブランド足らしめている大きな要素の一つですが、やっぱり宮崎監督の作るものは文字通りの意味で次元が違うような気がしました。レベルといった話じゃなくて、物語の論理とか倫理の部分で。
 ところで鑑賞前に文藝春秋の『風立ちぬ』対談を読んでいて(プロモーションに留まらないなかなか読みごたえがある好企画だったので、機会があれば是非一読をお薦めしたいのですが)、対談相手が半藤一利※だったためか夏目漱石への言及があって、まあリップサービスだったのだろうなと思っていたところ、実際に観てみると、存外、夏目漱石的世界観が導入されていて、故なきことではなかったのだなと膝を打ちました。具体的には、エピソードをつなぐ象徴的なブリッジとして二郎が幻視する世界が描かれますが、その感触が正に『夢十夜』的なんですね。それと冒頭から大学時代までを描くパートが『坊ちゃん』や『三四郎』のような世界観で。ジブリ製作で『三四郎』が観たいなあ・・・
 それと、公開前、なんだよその飛び道具!といわれていた庵野監督の起用ですが、何もかもを犠牲にして夢に邁進せざるを得ない「業を背負った人間」としての堀越二郎的人物を体現する声優としては上手い下手を超えてぴったりはまっていました。むしろ、いつも眉間に皺を寄せているような険しさを伴った声が、いつしか一本調子で平板に聞こえてくるあたり、西島秀俊演じる本庄が割を食っていたような印象すらあります。西島秀俊は本来ならもうちょっと巧くやれた気がするのですが。
 しかしまあ、全てをかけて二郎が辿り着いた地平の静かな凄まじさよ。結末に至っては席から立てなくなるくらい号泣。いいもの観させてもらいました。
☆☆☆☆1/2
※面白昭和史エピソードでお馴染みの半藤一利、ご存じのとおり義祖父が夏目漱石です。ところで宮崎駿の「病を持つ女性」像は母親の投影だったんですね。

R11フェアウェイウッド#3

 (承前)結論からいうと、購入したのはR11のスプーンでした。お店でキャロウェイのXHOTやRBZの異なるフレックス、違う番手も試したけれどしっくりこなくて、意外や盲点だった(ピンとこなかったRBZと同じテーラーメイド製だったので)R11のやや重めヘッド重量が相性が良かったのでした。気持ちよく振り抜ける。それと硬めのRBZより打感がナチュラルなのも良かった。
 店員さん曰く、シャフトが長いと一般的には難易度が高くなるのだけど、僕の場合は結構身長があるため、前傾姿勢が緩やかになる分長いシャフトの方が楽なはずとのこと。確かに5番でなくても打ち込める感じでした。要はクラブ全体のバランスが自分に合っているかどうかだったという訳。そしてやっぱり試打はできる条件が整っているなら徹底してやるべきですね。
☆☆☆1/2

ロケットボールズステージ2:ユーティリティ#3

 今使っている同じロケットボールズのドライバーが割と調子がいいので、そもそもこのシリーズの火付け役となったフェアウェイ・ウッドを使ってみようかとお店で試打させてもらったのだけど※、なんともヘッドが軽すぎる印象で。ヘッドの重みを感じながらスイングリズムを作っていくのが自分の好みなので、これは普段使い慣れているユーティリティの方がいいのではないか?と、構えてみたらしっくりくる感じだったので即購入。実はUTはテイラーメイドのバーナー・スーパーファスト#4というモデルを使っていて、ランまで含めて概ね190ヤード飛んでいるので、最新のもので一番手上げたなら200ヤードは超えていけるんじゃないか、という期待があった訳です。
 ・・・ところが、実際に使ってみたら捕まり過ぎの顔でフックになるし、強弾道を生むという触れ込みの「反発溝」がやけにひっかかる(物理的に)。本当は引っかかってはいないのかもしれないけれど、見た目の先入観って、ゴルフクラブではなかなか侮れない心理面の影響があるんですよね・・・
 なんとか慣れようと2回ほどコースのお供に連れて行ったのだけど、やはり使いこなせず。実際の飛距離もそれまで使っていたバーナー#4と変わらないのであまり意味がない。ということで売ってしまいました。うーん、ちゃんと試打しておけばよかったな。ロケットボールズはやっぱり相当ハードヒッターで、技術的にちゃんと打ち込んでいける人じゃないとポテンシャルを引き出せないような気がします。
 とか書きながら、やっぱりFWにしておけばよかったのではないかと性懲りもなく売ったお金を握りしめ、お店に足を運ぶ私であったが・・・(続く)
☆☆1/2
※あのお店の試打ブースって、店員さんに見つめられているプレッシャーと、測定器すれすれを思い切り振り抜かないといけない緊張感で、まともに打てたためしがない。

カラフル(原恵一)

 なんだ!これこそ俺が観たかった『エヴァQ』じゃないか!と思いました。5点。:現世で犯した「大きな過ち」を償うため、あの世から修行として下界へ送り返された男。その「修行」の内容とは、自殺した中3の少年の身体に宿り、その過程で自身の罪を思い出す、というもの。しかしその少年の家庭は一見平穏なものの、不倫を後悔する母、存在感の薄い父親、出来の悪い弟を疎ましく思う高3の兄、という極めて危うい関係で成り立っていた。しかも少年は学校では成績は最悪、クラスでは孤独な存在だった・・・果たして男はこのマイナスの状況から修行をやり遂げることができるのか?
 『素晴らしき哉、人生!』あるいは『クリスマス・キャロル』のように、超越的な存在に導かれてある人生を疑似体験する、という物語はある種の定番ですが、映画の観客と主人公が同じ目線で、すなわち提示される物語に初めて向かい合う、という点で作品への没入に極めて有効な形式でもある訳です。主人公のある発見によって、それまで見えなかった視界が開かれ、世界が拡張していく、という快感。先に書いたあらすじのように、基本的な構造は意外なほど似通っているのに、『エヴァQ』に根本的に欠けていたのは「手探りで世界を確かめる」発見のカタルシスだったのではないでしょうか?※1 以下メモとして。
・あえての不細工キャラを演じた宮崎あおいの熱演も悪くなかったけれど、ギリギリの精神状態で辛うじて持ち応えている複雑な母親像をナチュラルに演じきった麻生久美子が素晴らしかった。そして、自身の焦燥とないまぜになって弟との距離感を図りかねている受験生の兄を演じた中尾明慶の意外な好演!
・終始地味な展開なので、実写でなくアニメでやる意味がないのでは?という批判があったようですが、アニメは作り手が意図しなければどんな事物も存在しえないという点にあまりに無頓着な感想ではなかろうか。たとえば、主人公の唯一の友人となる早乙女くんの登場時からのつんつるてんの学生ズボン。「ああ、急に背が伸びたけど、もう中3だから親から買いなおすのは我慢しろ、といわれているんだろうな(そういう経済事情でもあるんだろうな)」と察させるような、そういった行間を読ませる豊かなディテールがいたるところに織り込まれています。※2
・自信がない監督だったらセリフで補完させたくなる場面、展開上絶対に「決めないといけないシーン」で「あとひとこと」を言わせない、ストイックな演出がよい。なので、クライマックスである一家の夕食の場面において、(家族からの愛を確信できたことで)自分の本音を遠慮なく吐き出して構わないんだという勇気を掴まえた主人公の心の軌跡に素直に共感できるし、結末の天使プラプラとの別れのシーンもストンと腑に落ちました。
☆☆☆☆☆
※1 あえてひねくれてみたというのは大いにあり得ることだけど。
※2 意味を背景に持たない部分でもディテールの描き込みが素晴らしく、担任の貧乏ゆすりやスキヤキに曇る兄のメガネなど、人物が立ち上がる瞬発力のある描写に感心させられます。前作『河童のクゥ』もやっぱりすごかったけどね。

クリーチャーズ 異次元からの侵略者(ドン・コスカレリ)

 『プレスリーVSミイラ男』以来のコスカレリ新作。『プレスリー〜』は人生の終わりが見えてきた男の諦念と矜持を描いて、監督自身の想いが重ねられていたからなのか、意外や枯れた味わいのある佳品になっていましたが、今回は『ファンタズム』ファンも納得なシュールなホラー/SF。おそらく(出演もしている)ポール・ジアマッティがプロデュースを買って出たこともあり、結構リッチな画を獲得しております(まあベクマンベトフの「ナイトウォッチ・シリーズ」程度には。)
 監督のファンなら改めて説明するまでもないことでしょうけれども、コスカレリは夢のシッポを捕まえるのがとても上手い。誰しも「昨日の夢、めちゃくちゃ変な話だったな・・・でも映画にすれば面白くなるかも」という気持ちになったことがあると思うのですが、普通のひとなら5分で忘れてしまうそのような体験を、雰囲気ごと見事に形にしてしまう。映画の中で起こっている物語はあまりに突拍子もないものだけど、不思議とその世界の中の論理では筋が通っているかのように思えます。
 今回の作品も大枠では主人公のデヴィッドがジャーナリスト(これがポール・ジアマッティ)相手に「信じられないような本当の話」をするという『ライフ・オブ・パイ』方式なんだけど、その「話」の中でも時系列があっちこっちへ脱線するから複雑極まりない。彼はソイ・ソースというドラッグを摂取したことで異次元の存在を知覚できるようになったのですが、そのせいである存在と対決せざるを得なくなってしまったという。果たして彼に平穏な日々は帰ってくるのか・・・ただ、複雑な構成にも関わらず、物語そのものはストンと腑に落ちるので、監督のストーリーテリングの技術はもっと評価されてよいのかもしれないですね。この調子で『ファンタズム』の新作も観てみたいものです。
☆☆☆1/2
※ホットドッグで交信してみたり、ドアノブがチンチンになったり、間一髪、犬が運転する車で危機を脱したり、という気が違ったかのような画をことさらにふざけることなく平熱で撮り切ってしまえるのが、この監督のチャームポイントといえましょう。いってみればケリー・リンク的なストレンジ・フィクションの色あいもあったりして。