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ともしび・谷間(アントン・チェーホフ)

 「激情型の登場人物たちが織り成す波乱万丈の大ドラマ」のような先入観がロシアのこの頃の小説にはあったのだけど(さらに『カラマーゾフの兄弟』を読んでから、より一層その思いが強く刷り込まれたのだけど)、この短編集に関していうと全然違いました。だからといってプロットのツイストで読ませるタイプでもなくて、むしろ人間の内面の変化にフォーカスした(アップダイクみたいな)ミニマリスティックな小説だったのが意外。※1
 いつの間にか始まって、いつの間にか終わるような、人生の悲喜こもごもについて語られる9編。虚飾に塗れた社交に現を抜かしているうちに夫を失ってしまい、その時初めて彼のかけがえのなさを知る女。引きこもりの男に結婚の素晴らしさを啓蒙しようとしたことで引き起こされる悲劇・・・
 と、チェーホフってこんな感じか、と安心した瞬間に繰り出されるカウンターパンチ!の『谷間』。個人的にはこの作品が唯一、いわゆるドストエフスキー的な大ロシアのパブリックイメージに近い話だと感じました。因果応報だけでは測れない現実の世の中の複雑さを中篇で語り切っているのもすごかった。ある事件で打ちのめされた女の子に対して、(長い人生で色々な事を目にしてきたと思しき)見ず知らずの老人が何かを察して「母なるロシアはでっけえでなあ!」と声を掛けるのが象徴的。諦念とやけっぱちの現実肯定がないまぜになったようなこの言葉が、当時の社会を反映しているような気がします。ジャーナリスティックな視線の導入。
 だからといって作者はストイックな聖人君子だった訳でもない、というのが面白いところで(下世話な言い方ですが、酒も女性もいける方だったらしい・・・)。読んですぐ気付くのは、美人への食いつきが驚くほど貪欲なこと。脈絡伏線関係なし。そういう意味で冒頭に置かれているのが、そのものズバリ『美女』というタイトルなのが面白かったです※2。美人の件もしかり、『ともしび』を読んでも、口説くというゲームの一時の高揚と、後悔するような倦んだ気持ちの描写が実にリアルで、さもありなんと思いました。
 ところで、この方も書かれていますが、通常、語り手である主人公に対置される聞き手というのは、物語のポイントを指し示す読者のガイド的な役割のはずなのに、「その話、長くなりますか?」みたいにシラけてるのが妙におかしかった。そういうセオリーを脱臼するような語り口も独特でした。
☆☆☆☆
 ※1ウィキペディアを見ると、実際ミニマリストへの影響に言及されることもあるようですね。
 ※2「美女」は個々のパーツの造型の完璧さではなく、いわく言い難いバランスと仕種やニュアンスから立ち現れる概念だということを実に的確に語っています。