アイアンマン3(シェーン・ブラック)

 端的に言うと、ロバート・ダウニー・Jr.が『キスキス,バンバン』※1をもう一度やってみたかった、という映画でしたね。もちろん各イベントは超大作なりに大規模になっているのだけど、基本的に軽コメディ探偵もののノリ。以下ネタバレありの感想です。
・まずなんといっても、アイアンマン・スーツは手段であって目的ではない、という原点回帰がよかった。言い方を変えれば「ギア」としての魅力が本筋だったのに、拡大再生産の愚に陥ってしまった2作目をきれいにリセットしていました。だからこそ、それを念押しするようなクライマックスの派手な大集合→使い捨て→祝砲という展開が効いてた気がします。
ドン・チードルのローズ大佐、違和感があったけど観てるうちに馴染んできた。ところでアイアン・パトリオット星条旗カラーということもあって「絶対的武力を行使する大国」という不穏さを孕んでいたならば、スーツの持つ危うさを相対化する意味でその批評精神にブラボーだったんだけど(2作目には若干そういう匂いもあったけど)、意外とアメリカ万歳で終わったのでちょっと肩すかしでした。
・1作目にはなんとなくあった、「殺さずの誓い」ってグダグダになりましたか?
・そういえばファン・ビンビンが出てるって聞いたけど・・・どこ?って思ってたらなんでも中国版が別にあるらしいですね。そこまでするのか。すげえな。同じくワン・シュエチー演じるドクター・ウーなんてエピソードとして絡む要素ゼロだったし。
・ところで、発砲で熱くなった銃身で耳たぶをジュってする、とか、副大統領がキリアンの野望に取り込まれた切っ掛けが自身の娘の障害にあった、のような言葉では説明しないけど映像でさりげなく語るテクニックが今回実に巧み。シェーン・ブラックの監督としての力量は素晴らしい。※2
・僕自身の一番好きだったシーンは※3、結末の対決よりむしろエアフォースワンから投げ出された人々の救出劇で、普通に考えたら絶対に無理なのをトンチで何とかする、というか映画のウソで何とかなったようにありありと描いて見せる、ところにグッときました。こういうシーンが一つあると作品としてなんだか魅力的に感じます。
・それだけに残念だったのは・・・アルカーイダを思わせるマンダリンのプロパガンダ(に出てくるインディアン迫害のエピソードなど)や、原爆を思わせる「壁に焼付いた人の影」のイメージ。娯楽作品であまりうるさいことは言いたくないのだけど、デリケートな分野を映像的に剽窃するのはもっと慎重になった方がいいのではないかという気がして。もちろん「扇情的で空疎なイメージの羅列」というのは、実はそれこそが目的だったのだと後で明らかにされる訳ですが。でもちょっとなあ、となりました。
(という訳で星1/2マイナス)
☆☆☆☆
※1 冒頭にラグジャリアスなパーティ、登場する美女がトリガーとなって事件に巻き込まれる、という展開の踏襲は狙ってやってる感じ。ミステリの王道を脱臼させるような語り口も健在でした。『キスキス,バンバン』は使いどころの難しいヴァル・キルマーの正しい使用法を提示したという点でも見る価値のある快作だと思います。
※2 例えば、トニーが中身かと思ってたらアイアンマンが実は遠隔操作だった、というくだりも、直前にポッツのマッサージをするシーンがあって「そんな繊細なこともできるくらいスーツが進化したんだ!」と観客に思わせてるのが効いてましたよね。
※3 もちろんペッパーさんのクリティカル・ブロウにも文字通り胸を打ち抜かれましたけれども。
※ 3作を総括するエンドクレジット自体も快調だったけど、恒例のエンドクレジット後のお楽しみは、従来のような派手な仕掛けはなくて、でもだからこそ上手い、語り過ぎないのがニクイ感じで、これまた監督の達者さ加減を感じました。