エターナル・サンシャイン(ミシェル・ゴンドリー)

 なんというか、チャーリー・カウフマンは「臆病で自分から告白できないような男のところに、ちょっと奇矯だけどチャーミングな女の子が押しかけ女房風にやってくる」という話にオブセッションがあるとしか思えない。血の繋がってない妹が「お兄ちゃん!いい加減起きろー」と毎朝たたき起こしに来るようなゲームも多分好きだと思う。

 それはさておき、オタク青年の妄想のような話ばっかり書いている人が、次世代脚本家の星としてもてはやされ、あまつさえアカデミー賞まで獲ってしまえたのは、映像方面におけるサブカルのカリスマたちがキャッチーな外見を与えてくれたからに他ならない。と書くと、ものすごくカウフマン脚本の価値を軽んじているみたいだけど、基本的には大好きなんですよ。ただ生真面目にすぎて、ともすると説教臭い落としどころに落ち着いてしまいかねないのが要取扱注意ではないかと危惧するだけで。

 監督・脚本コンビの前作「ヒューマン・ネイチュア」が入り口は面白いのにやっぱり寓話じみたオチだったのに少しガッカリして、しかし今回は前評判もいいし意外といけるかもしれないという期待を胸に鑑賞してみたのだが・・・個人的には残念な結果だった。

 PV監督出身の映画監督だと、「MTV風のつくり」と呼ばれるのを警戒してか結構オーソドックスなスタイルであえて撮ってみたりするものだが、今回は開き直ったようにありとあらゆるトリッキーなテクニックを披露していた。しかし要所要所で利用するならば効果的なのだろうけれど、全編に渡って弄されるといささか辟易の感が。もちろん物語自体に必然性(例えば恋人の面影を記憶から消去するという過程が、まんま過去の記憶の映像から恋人が消失するというビジュアルとして展開する)はあるんだけど。それが僕には、本編のテーマを正面きって語ることに対する目くらまし的なものに思われた。

 つまるところ、監督であるゴンドリーがやっぱり生真面目すぎる人なんだと思う。脚本のテーマに忠実すぎるというか、ベッタリ寄添いすぎてしまうのだろう(今回は原案も監督自身)。しかし監督というものは、本当ならいい意味で一度脚本を突き放してみる客観性が必要なんじゃなかろうか。結局スパイク・ジョーンズとの違いはそこにある気がした。

 ケイト・ウィンスレットはノミネートされるだけのことはある演技だった。せっかくだからあげればよかったのになあ。(「アビエイター」はまだみてないけれども。)

 一方、カウフマンはこれで脚本賞をを獲得した訳であるが、これなら「アダプテーション」にあげればよかったのになあというのが正直なところ。
☆☆☆