ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー(マイケル・マン)

 開巻早々、雨にけぶるネオン、80年代な電子音楽、これってブレードランナー!?と思ったらこちらが1年早いんですね。シンクロニシティ
 ともあれ、初監督作にはすべてがある、というのは本当だなと得心。裏街道渡世とはいえ、通さねばならない筋がある、という話は『ヒート』しかり大好きなんです。なんですが、同様に完全には乗れなかったという理由は、主人公の女性への対応ですね。あれほど無茶な求愛に応えてくれた人なのだから、やむを得ないとはいえ送り出すときはちゃんと説明すべきではなかろうか?何というか、「彼女には理解されなくてもいい・・・(観客だけは分かってくれる)」みたいな変なマッチョイズムというかナルシシズムは押しつけがましくて個人的にはノーサンキューなのです。
☆☆☆(なので星半分マイナス)
※プロの仕事ぶりを淡々と描くシーンはそれだけで面白い。しかし、宝石強奪ならあんな大胆なやり口では石が変質しちゃって台無しにならないのか気になって…
タンジェリン・ドリームとは『ザ・キープ』でも組んでたけど、あちらは安っぽさが強調される感じで、ちょっともったいなかったですね。

ルール/無法都市(ウィリアム・カウフマン )

 銃器考証のリアルさで世の好事家を唸らせたという評判の「低予算」ポリスアクション。特殊部隊出身のはぐれ刑事が、図らずも担当した事件でその軍隊時代の因縁と決着を付けなければいけなくなるという、まあ超定番な物語。けれども、バディものの要素もそつなく押さえているし、ショーン・パトリック・フラナリーが演じる腐れ縁の幼馴染※も味がある。ニューオーリンズという舞台設定も効いていて、つまり全方位的に心得た演出です。
 しかし一番グッときたのは主人公の所作でした。銃を扱う手際が本職みたいで無駄がない。しかも銃を使えないと判断して近接戦闘(ナイフ戦)へ移行する際のスムーズさたるや!なんというかシズル感がありましたね。一流スポーツ選手の動作に、その種目に最適化された挙動の機能美を見るような。弾着効果のCG処理の安っぽさには如何ともしがたいものを感じましたが、監督において「目指すビジョン」が明確なら、これだけ面白くなるんだなというお手本のような作品でした。
☆☆☆1/2
※一時期ジェレミー・レナーが一手に引き受けてたような役ですね。

ローリング・サンダー(ジョン・フリン)

 独自に調査を進める保安官クリフ、ドラマにツイストをもたらす要素なのかと見ていたらあっけなく退場。おとり要員だったはずのヒロインが、実は職業軍人父親仕込みのガンマンだったと判明し、おおこれは『ジェヴォーダンの獣』みたいな非戦闘員とみせかけて最大戦力というやつか?あるいはハン・ソロ的なあれか!と期待してたらそのまま放置。というように、通常の娯楽作品のセオリーを回避していく脚本。しかし現実はそんなものかもしれない・・・と思わされて、これこそ正にポール・シュレーダー節なのだなと得心。つまり「片腕のベトナム帰還兵が家族の敵を討ちに殴り込み」という大きな映画のウソを観客に飲み込ませるための、作品内リアリティの醸成が実に巧みなんですね。加えて、決して盛り上げようとしない不穏な劇伴が好印象(最近の映画の饒舌すぎるサントラは食傷ぎみなので)。考えたら、音楽次第ではものすごくカタルシスのあるバイオレンスアクションにも成り得た作品だと思います。
 それとユニークだったのが主人公像。ベトナムの虜囚経験から彼岸の人となってしまった彼※1は、終始「得体のしれない存在」として描かれ、観客はストレートには主人公の心に寄り添えず、むしろ彼の言行に翻弄される周囲の人々にシンパシーを感じざるを得ない。しかし、映画自体は主人公視点の復讐譚で推進される、というねじれの構造が面白かったです。
☆☆☆1/2
※1 書いていて思い出したのが、アンドレーエフの『ラザロ』。決定的な経験は誰にも取り消すことはできない、というテーマ的にも通じるものを感じます。
※ 若き日のトミー・リー・ジョーンズが、やはり戦いの中に死に場所を求めている帰還兵役で出演しているのですが、本当にこの頃はジョシュ・ハートネットに似てる。後のストラニクスである。

エリジウム(ニール・ブロムカンプ)

 残念ながらこの作品にも乗れず・・・(この夏は「特撮もの」と相性が悪かったかな。)以下その理由をつらつら考えるに。(ややネタバレです。)
・やはりエリジウムのセキュリティ体制が、長きにわたって超富裕層の楽園を守ってきたというにはあまりに脆弱に見えたこと。具体的にはアーマダイン社長ともあろう人のガードが隙だらけすぎるし、(え、この映画もなの?となったくらい最近多いけど)ID4的一発逆転方式で何とかなる管理システムだし、いざ侵入された時にもっとワラワラ防衛ドロイドを投入すればいいのに(あんなにたくさん工場で作ってたのに)、結局傭兵とヒーローの戦いに終始しているし。
・一番残念だったのは、エリジウム住民の防衛を一手に担っているデラコート(J・フォスター)が、「老いや病から解放された」事実上の不死者であるはずなのに、(単純に冷酷なだけで)それらしい年経た老獪さを実働面で見せてくれないこと。もっと言えば長すぎる寿命に倦み疲れた、しかし現体制維持には固執する、といった奥行きが感じられないままあっさり退場してしまうこと。※
・これは登場人物全般にも感じられたことで、誰もが初登場時の印象から一歩も出ないまま、その役を全うするのみで終劇となります。前作『第9地区』で一番心動かされたのは、小役人ヴィカスが運命のいたずらに右往左往し利己的な言動を続ける中で、最後には自己犠牲の精神を発揮する、という振幅にあったので、今回は物足りなく感じられたのかもしれません。
☆☆☆
※逆にそういう定番をひっくり返す、この作品独自の「寿命を超越した人類ならではのメンタリティ」みたいなものが感じられる描写があれば、そこに「SF」を見出せたと思うのだけど。

モンスターズ/地球外生命体(ギャレス・エドワーズ)

 破壊された建物、書き換えられた地図など、痕跡を描くことで、彼らにとっての怪獣の存在を映し出す、というのがとにかく上手い。予算制限上からくみ上げられた「最低限、画にしておくべきの描写とはなにか?」が突き詰められて考えられている印象だし、それが功を奏している。こういった小規模予算の作品では「特撮部分がちゃちでも心意気は買える」みたいな愛で方、擁護し方もありだし、実際僕もそういう映画は好きなんだけど、ところがこの作品についていえば、全然そういう心配は無用だった。※1
 いわゆるジャンル映画といったカテゴライズに関わらず(だから市井の人々を描くドラマでも同様で)、監督がスケール感をもって作品世界を描き出せるかどうか、というのは経験などで何とかなるものではない気がしていて、やはりそこはセンスという身もふたもない結論がそびえ立っている。自分が思う、低予算で、それ故に限られた環境しか描写していない、にも関わらず背後に広がる「世界」を感じさせる監督を挙げるなら『第9地区』のニール・ブロムカンプや、『アンデッド』のスピエリッグ兄弟などですが、具体的な要素としては、例えば作品世界構築の支柱となるべき「あるシーン」(2、3あればよい)を心得ていて、そこを狙い通りにやり切れるかどうか。この映画でいえば国境に存在する「壁」の画ですね。あのシーンの瞬発力たるや!※2
 役者面ではエキストラ(というかその辺りにいた人々)が相当動員されていて、ある種のリアリティを引き寄せることに成功していたけど、この規模の映画でとかくがっかりさせられるのは、演技経験の浅い主要登場人物の拙い演技。安くて見てられない(特撮は脳内補完できるけど演技は無理)、ということも多いけれど、今回感心したのは予算以上の奥行きをもたらした主演二人の演技ですね。素晴らしく上手い訳ではない、でも「画として持たせるリッチさ」があって、これはそういう演技を引き出した監督の力も大きいと思います。(語らせすぎない引き算の演出も効いている。詳しい筋によるとマイク・リーみたいな現場で即興型だったそうですね。)
 ハリウッド新ゴジラ抜擢もむべなるかな、多すぎる予算を処理するのに追われて、センスと工夫がスポイルされないことを祈っております。
☆☆☆1/2
※1 ただ、手弁当でもこの映画で製作費1万5000ドルはないだろ、と思ったら最終的な製作費は50万ドルだったみたいですね。それでも十分以上に凄いけど。ちなみにスケール感については作品そのもののクオリティとイコールだと言いたいわけではありません。 
※2 もちろん、グラフィティ風に公共建築物の壁に描かれた米軍とモンスターの戦闘の絵、波止場のチケットブローカーなど、ディテールもいちいち素晴らしいのですが。

ウルヴァリン: SAMURAI(ジェームズ・マンゴールド)

 フジヤマ、ゲイシャはさすがに出てこなかったけど、シンカンセン、パチンコ、ヤクザ、ラブホテルというガイジンが考えるニッポンの風景がてんこ盛り※1、まさしく期待通りの映画でした。そういう雑多な要素を学生向け定食屋(でも昼時は会社員多数)みたいにそつなく料理しきった点、さすがザ・職人監督マンゴールド、オモテナシ精神がよく分かってる。(候補だったジョゼ・パジーリャの描く、ハードコアな県警対組織暴力を観たかった気もするけど。それは『ロボコップ』まで楽しみに取っておくか。)
 ところで、マリコを守る動機が詰まる所「ひとめぼれ」というのは、最初にいわくありげな視線を交わしてた割に、ザックリというか、逆にリアルというか・・・。
 そういえばアクションの空間的な組み立てが的確なので、非常に見やすかったことを申し添えます。葬儀場からの逃避行で弓矢の射手を設定していたのは視点の導入が自然という意味でもで巧かったな。葬儀場の屋根瓦にニンジャが張り付いてるのは不自然だけど。
 ヒロイン二人が外国人の思うアジア人要素を強調したような感じの文字どおりマンガみたいな喪服美人、Kawaiiキャラで笑った(しかし二人とも好演でしたね)。その点今回唯一の悪ミュータントであるヴァイパーは使い捨てキャラでモッタイナイ(くどすぎた?)。せっかく『裏切りのサーカス』で注目してたスヴェトラーナ・コドチェンコワだったのに、扱いが中途半端なんだもの…
☆☆☆1/2
※1 その意味で、『ブラック・レイン』オマージュの匂いも若干ありました。
※1−2 ネタバレ補足:そういえばビジュアルのみならず、あんまりいうとあれだけど、ブラック・レインとはなにか、ということでもあるし。シリアスにテーマを云々する映画ではありませんが、危険を顧みず外国人捕虜を救うような心の持ち主だった矢志田青年が、焼け野原を目にして心の奥底に暗いものを宿らせた、形振り構わぬ人間に豹変した、という設定は、『ブラック・レイン』で若山富三郎演じる親分が言っていた「お前らがあの爆弾を落として〜」というセリフの残響のようにも思えるし。
そもそもアメコミX-Menの出自が「核の恐怖」モチーフにあると考えたら、なかなか複雑な話ではあるけれど。

マン・オブ・スティール(ザック・スナイダー)

 冒頭、クリプトン崩壊に関わるてんやわんやがあるのですが、スター・ウォーズ新3部作のがっかりした要素を拡大したようなというか、『リディック』のような安っぽさというか、「ああ、映画観終わった後で、ここのくだり蛇足だったな、って思うんだろうな」と思いながら観てたら、実は映画全編これ蛇足だったっていうね・・・(今回は厳しめなので、楽しまれた方におかれましてはご容赦ください)
・そもそも、ゾッド将軍の武士魂というか、方法は完全に間違ってるけどクリプトン再興に掛けた想いだけはよく分かる、ってなるほど人物に奥行きがない(だから衝突にドラマが生まれない)、クラークにしても「世間から疎外されて、人生を顧みてもむしろ辛かった思い出しかないけど、でも僕はアメリカ人だ!」という感じは受けないし(主人公なのに寄り添えない)、ロイス※1との気持ちの通い合いの側面もよく分からない内に好きになっちゃってるから「両親のこと以外、正直地球がどうなろうと構いはしないけど、でも君のためだけに世界を守る!」みたいなデビルマン的盛り上がりにも欠ける・・・つまり全方位的に描きこみ不足としか言いようがない。これじゃキャラクターに共感しようがない。
・ドナー版『スーパーマン』が良かったのは※2、「日常の」災厄をスーパーパワーで解決!でも普段のケントは「あいつまた肝心な時にいないんだから…」という冴えないサラリーマン、という振り幅の大きさにあった訳で。それをその当時進歩著しかったSFXによって画として実現したのが大ヒットの要因ではあったものの、その一方で、「拳銃強盗に襲われたケントを心配するロイス、本人は平気だというが確かに撃たれたはず?さりげなく立ち去る彼の掌からは弾丸が…」※3みたいに、特撮なしで超人ぶりを十全に描き出す、その緩急使い分けたスマートな演出が素晴らしかった訳です。しかし残念ながら、その後の娯楽大作の方向性は、特撮の許す限り派手に、過激に、という拡大再生産の道をひたすら歩んできました。
・繰り返しになりますが、脱線事故を未然に防いだり、落下するヘリを拾ったり、という日常の中にあらわれた非日常の異物を画として見せる振り幅に面白さがあったのに、感情移入できる充分なタメの描写もないまま「突如現れた宇宙船による大破壊、超人たちのどつき合い」を見せられても心は萎えるばかり・・・やっぱりクライマックスを迎えるにはそれなりの手順というものがあるんですよ。今回唯一昔のスーパーマンの匂いがあったのは、石油プラントからの脱出劇くらいかな。
・大体、でかい予算をぶち込めばCGIでどんな画でも作れるようになった昨今、そういう方向性には観客もいい加減食傷ぎみだから、というところで、(格闘演出は下手だけど)コンセプトを考えさせたら一流のノーランが任されたのだと思うのだけど、結果がこれ(真・実写版ドラゴンボール)でよかったのかしら?
・抒情的な予告編がすごく印象的だったので、なんなら8割くらいは何ら派手なことの起こらないスーパーマン、という案配でもよかったのですが。実際の本編では2%くらいの成分でしたね。そこで対案:ゾッド将軍のくだりはいろいろ事件を解決した後で、最後の15分に登場「(そもそもカル=エルを追ってきたのではなくて)クリプトフォーミングに適した惑星、地球を発見。下等生命体となめてかかった将軍だったが、思わぬ伏兵スーパーマンが。そうか、憎きジョーの息子はここにいたのか。ここで会ったが百年目、覚えてろよ!(つづく)」にすればよかったのに。
・ということで『スーパーマン』はつくづく傑作だったな、また日曜洋画劇場でやったらいいのに、との思いを新たにしたことでした。
☆☆1/2
※1 エイミー・アダムスのリアリティのある佇まいをもってしても如何ともしがたかった…
※2 意外だけど脚本は『ゴッドファーザー』のマリオ・プーゾなんですよね。
※3 今だったらスローかつCGで弾丸を掴んだりしちゃうでしょ、そうじゃないんだよ!