ペンギン・ハイウェイ(森見登美彦)

ペンギン・ハイウェイ
 近作の『恋文の技術』や『宵山万華鏡』は安定していたものの手癖だけで書いている感があって、自己模倣の袋小路でこのままやせ細ってしまうのだろうか、と心配していたのだけれど、杞憂でした。よかった。
 新興住宅地に暮らす「ぼく」は、日々の研究に余念がない好奇心旺盛な小学4年生。あこがれは通っている歯科医院のお姉さんで、近所のカフェで戦わせるチェスの時間が最高の楽しみ。そんなある日、どこからともなく町にペンギンが現れるという事件が起こる。ちょっとした椿事と思われたそれは、世界の変化の予兆に過ぎなかった・・・
・思春期には至らず、幼児でもない、4年生という主人公の微妙な年齢。幼い頃大冒険だったつもりの場所を大人になって振り返ると、意外なほどの近さに驚くということがありますが、少年期の距離感というか「世界の捉え方」が実に的確で唸らされます。9歳という年齢を描くのに、(要所で微笑ましいエピソードを提供する)ごく幼い小学2年生の妹というキャラクターが対置されているのが巧いですね。
・ところで、この主人公のアオヤマ君というのが実にハードボイルドな少年で。クラスのガキ大将に水着を取られた時の冷静な対応や、何度か口にする「僕は泣かないことにしているんだ」というセリフを読むにつけ、そのあまりの格好良さに鳥肌が立つ思いをしました。作者は物語の流れの中で、決めるべきシーンを確実に決める技術があるのがやはり強力な武器だと思います。
・森見作品のヒロインというと、硬派な武闘派読書女子に蛇蝎のごとく嫌われているふわふわ萌え萌えした女の子が定番だったけれど、今回は『夜は短し』等に登場するミステリアスな陰のあるお姉さんだった羽貫さんの系譜に連なるキャラクター(あの人も歯科衛生士でしたね。何かあるのかしら)。実は最後まで固有名が付与されることがありませんが、それが物語に深く関わっているとは・・・それはさておき、お気楽な言動とは裏腹に、最初から不穏な空気をまとって登場してきたのがいつもの作者の世界観とちょっと違うところ。
・加えて、(台風という非日常の後で)突然妹が「お母さんが死んじゃう」と不安になる描写があったり、親友のウチダ君が「死と世界の成り立ち」についてずっとこだわって考えているように、いつになく死の気配が濃厚で、予想していたようなストレートなジュブナイルではなかったのが印象深かったです(特に後半)。『きつねのはなし』のような「おもてなしとしてのホラー」ではなく、リアルな暗さ。
・森見作品といえば、大風呂敷ともいえる伏線を魔術師のような手さばきで見事に回収する手腕がひとつの見所とされてきた訳ですが、この作品では表立った事件には明確な答えが出されない代わりに、水面下で動いていた感情たちが、一気にクライマックスで収斂していく。主人公とお姉さんの関係性は、人と人が巡りあうことの不思議さ、かけがえなさの隠喩であったように思いました。
☆☆☆☆☆(泣かされちゃあしょうがない・・・)
※ところで高熱のまどろみの中で主人公が夢想する風景は、かなり意識的に『夢十夜』をなぞっていたような。あの短篇もかなりメメント・モリな作品でしたよね。