マルドゥック・スクランブル<続き>

 しかし、しっかり楽しんだにもかかわらず感じる一抹の物足りなさ。実は同じような物足りなさというのを『亡国のイージス』の読後にも感じて、そのせいなのか(作風は違うけれど)作家としての立ち位置は福井晴敏に似ているような気がしました。つまりサンプリング・カルチャーの申し子的な。
 サンプリング・カルチャーの最も華々しい成功例のひとつである『マトリックス』については作者自身もあとがきで触れていましたが、その既視感のせいで素直に楽しめなかったのかといえばそうじゃないと思います。逆に『マトリックス』のどこに感動したのかを今一度腑分けして考えてみると、画期的なビジュアルやアクション映画のセオリーを破る前衛的な音楽ももちろん大きな要素でしたが、あれだけ監督の「好きなもの」をやみ鍋のようにぶち込んで破綻しない「物語の整合性」、つまり複雑な数学の問題のエレガントな解法を目にした時のような反射的な感動に近かったと思います。(加えて言うなら、だから2,3作目はどう作っても蛇足にしかならなかった訳ですが。)
 いま勢いがあるとされるエンターテインメントのジャンルの作家たちは、DJのように先行作品やジャンルの歴史についての造詣の深さを誇るタイプが多いように感じるのですが、歴史を消化した上で何を提示するのかという部分の掘り下げが足りないように思えてなりません。