ロボコップ(ジョゼ・パジーリャ)

 題材との相性から、パジーリャの起用を考えた人は慧眼なり!と当初発表されたときは思ったのだけど、先に結果を申し上げるならば、もっとやれるはずなのに…という感想になります。
 オリジナルのどこがよかったのか改めて考えると、あのスッキリしない感じ、「結局全体としては何も解決していない」という作品を貫くペシミスティックな諸行無常観にあった訳です。ところが、今回はあまりにストレートな活劇調。主人公が組織ぐるみの汚職でひどい目にあったり、人間性と与えられた戦闘マシーンの本能の間で葛藤する、というような物語を転がすためのハードルはいくつか用意されているものの、約束されたハッピーエンドへのお膳立てに過ぎない感が画面から溢れていて、どうにも緊張感が足りません。ジョゼ!あの荒ぶる魂はブラジルに置き忘れてきちまったのかい?と観ている間何度臍をかんだことか…
 具体的にリメイクと比較すると分かりやすい例が、ロボコップが敵と対するとき、一度ロックオンした標的ならば顔も向けずに腕がオートマティックに射撃する、という有名なシーン。実に映画らしいケレンで、喝采を送りたくなる名場面ですが、同時に「マーフィが失ってしまった人間らしさ」をも象徴していて、どこかもの悲しさもあるという巧みなバーホーベン演出です。
 さて、今回のリメイクでも似たシーンがあるのですが、1.求められている射撃反応速度に対し、人間としての思考、躊躇が邪魔をしている→2.博士たちの検討ミーティング→3.機械的な反射を脳にフィードバックして、自分で判断しているように誤認させる→大活躍!という描写があるんだけど、まだるっこしい!オリジナルではワンシーンでやっていることを、これだけくだくだしく説明しないといけないのかと残念でした。
 もっと本質的な部分でがっかりしたのが、作品のトーンを決める重要な部分、サミュエル・L・ジャクソン演じる鷹派のTVキャスターの言動がいかにも分かりやすく悪役なこと。(プロパガンダ的ドキュメンタリーのパロディだった『スターシップ・トゥルーパーズ』の方がもっと顕著だったけれど)監督がニヤニヤしながら撮っているのが透けて見えるような底意地の悪さが魅力だった原作に対して、あまりにストレートで芸がなさすぎる。観る前に期待していたのは、同じ路線、方法論を踏襲するのではなくて、パジーリャらしいヒリヒリするようなリアルな描写を武器に、違った側面からのアプローチで料理してくれるんじゃないか、ということだったんだよね。
☆☆☆(冒頭にも書きましたが、まだまだこんなものではないはずという想いを込めて)
※まあ、正直オープニングのくだりが一番緊張感があって面白かったですね。
※ハリウッド版仮面ライダーとしてはよかったです。バイクが効いてる演出で。

戦場のメリークリスマス(大島渚)

 恥ずかしながら、DVDがレンタル化されて今回初めてみたのですが、たいへん面白かった。いいのは音楽だけ、という感想を当時から聞いていたから、もしかして本当にそういう作品なのではと危惧していたけど※1、杞憂でした。ちなみに僕の記憶の中では『地獄の黙示録』と同じフォルダに収められていたのですが、今回ちゃんと観た後でもその印象は変わることがありませんでした。不思議なことに、やはり80年代の映画※2というのは洋の東西は違えども同じ匂いがどこかしらするものみたい。
 ところで感想をネットで読んでいたら、(映画のテーマの重要な部分を負っていると思しき)ビートたけし演じるハラ軍曹に関して、「状況に規定される人間の卑小さを象徴している」という意見がある一方で、「極限状況下でも結びうる人間同士の心の交流の可能性を描いている」という正反対の意見もあって、どちらもその根拠を映画の最後の有名な「メリークリスマス!Mr.ローレンス」というハラのセリフに置いているのが興味深かった。(加えていえば、ローレンスのリアクションではなく、ハラの笑顔のストップモーションで締めているところが、多様な解釈の余地を残していてよかったと思う。)そしてどちらも正解と思える複雑さをはらんでいるのが、この作品の素晴らしさであるような気がしました。
☆☆☆1/2
※1 『地獄の黙示録』は正確には79年作品ですが。
※2 ジェレミー・トーマス案件なので、エキゾチズム狙いのあざとさが否めない感はあります。

ホビット 竜に奪われた王国(ピーター・ジャクソン)

 数多のフォロワーが発生したにも関わらず、やはりこの規模と精度でファンタジーを映画化した作品として『指輪物語』シリーズは突出してるな、と改めて思いました。ちょうど『スター・ウォーズ』EP4〜6がそうであるように。違いとしては、結局SWの1〜3が自身を超えられなかったのに対し、ホビットは前シリーズの世界観を包含しかつ拡充しているところ。やはり大きい画面が面白いに決まっているので映画館で観るべき映画だと思います。酒樽の脱出があんなに膨らませてあるなんて、『ローン・レンジャー』のクライマックスと双璧をなすアクションシークエンスだったよなあ・・・
 それはさておき、知らない女の人が出てくるのはまあいいとして、ビヨルンの設定がなんか違う感じなのがちょっとひっかかったかな。あと湖の町の統領はなんだかテリー・ギリアムの世界の住人みたいだったよね。
☆☆☆☆

ミスター・ピーナッツ(アダム・ロス)

ミスター・ピーナッツ
 深く分かりあえたという一体感に陶酔し、しかしその次の瞬間には相手のことを何も知らなかったのだという事実に愕然とする。けれども赤の他人がたまさか同じ屋根の下に暮らしているに過ぎないということを鑑みればそれも理の当然。という、客観的に見れば誠に不可解な制度である「夫婦関係」。その迷宮性をエッシャーのだまし絵、メビウスの輪に仮託し小説の構造として再現するという大変野心的な試みであるこの作品、挑戦は成功したといっていいでしょう…しかし。
 文学的なチャレンジが成功しているからといって必ずしも面白いとはいえないのが難しい。出てくる登場人物がことごとく自己中心的で、まるでシンパシーが感じられない、故に読み進めるのがたいへん辛かったというのが正直なところ。夫婦倦怠ものというのは古今東西さまざまな物語が綴られてきた訳ですが(それだけ語り甲斐がある主題ということだと思うけれど)、何かしら共感できるフックがないとテーマに得心できない。逆に言えば、「こんなに愛すべき人物と思われる2人であるにも関わらず、どうしても起きてしまうボタンの掛け違い」というアプローチでないと「夫婦の迷宮性」の深みに到達できないような気がしたのでした。登場人物のチャイルディッシュさにシラケてしまって物語に入り込めなかったという点で、スパイク・ジョーンズの『かいじゅうたちのいるところ』を思い出したり…
☆☆1/2

ことしのベスト3

1 『ゼロ・グラビティ
 生きる意味を見失っていた主人公が、宇宙という子宮を通じて再誕する、そして生の重みを改めて感じる→「Gravity」/ということで言葉にすると身もふたもない感じになってしまうけど、全てを映像で語り切ってしまうその圧倒的な手際の良さに感動したのかもしれない、と今改めて思っております。
2 『風立ちぬ
 正直、支離滅裂の一歩手前みたいな乱暴なストーリーテリングなのに、作品として持つポピュラリティの圧倒的強度の前に呆然としてしまった印象。宮崎作品の芯にある「怖さ」みたいなものに改めて気づかされた作品でもありました。
3 『クロニクル』
 もうハリウッド版は必要ないと見なされるんじゃないかと懸念されるほどに「『AKIRA』もの」として完成されていた。素晴らしい。

ゼロ・グラビティ(アルフォンソ・キュアロン)

 端的に言うと「宇宙、すげえ・・・」ということに尽きるのですが。
 まずキュアロンは『大いなる遺産』の監督として僕の前に現れた。映画はクラシカルな物語が要請する以上に過剰なエロスで、その歪さによって忘れがたい作品になった。次は『天国の口、終りの楽園。』。こちらも馥郁としたエロスでクラクラさせられたのだけど、青春の痛みを描く練達のストーリーテラーとして、また不意打ち故に衝撃だった長回しによって強く監督の名を印象付けられました。(間にシリーズ中唯一素直に好きといえる『アズカバンの囚人』を挟んで)そしていよいよ『トゥモロー・ワールド』が登場。ディテールに隙がないディストピアの地獄めぐり、何より伝説的な長回し(天国の口の時は余技だと思ってたのに!)によって自分の中でオールタイムベスト10を占めるに至りました。くだくだしく書いてしまったけど、つまるところ何が言いたかったかというと、ジャンルやスタイルはいつもびっくりするほど違うのにいつだって面白い監督だということです。
 然るにこの作品、部分を取り上げてみたらすべて手垢のついたクリシェの集積なのに、話の流れの淀みなさやディテールへの尋常でないこだわりで、違う次元に到達してるところが凄いと思う。(90分というランタイムが語るように)エピソードの枝葉の剪定の的確さがまずあって、それを映像面で支えるのが全編長回しのようなスタイル。ステーションと人物の全景を捉えるショットからバイザー越しにみるソユーズの画、のように流れがシームレスで(子供みたいな言い草だけど)本当にどうやって撮っているのか分からない。
 もうひとつ映像面でいえば、命からがらソユーズにたどり着きハッチから中に入るまでのシークエンス。「酸素欠乏での無重力状態」なんていうことは経験仕様がない訳だけど、かつて経験したかのような実感を伴ってありありと「体感」される。あの主観映像にはどうして酸素欠乏感があるんだろう?(実は「体重がどんどん軽くなって、地上に留まっていられなくなり、アンテナにしがみつく」というかつて見た夢のことを思い出していたのだけど。)
 「映像革命」という惹句は、かつて何度となく映画のコピーとして利用されてきたけれど、3Dである必然性という要素も含めて、真にその名に相応しい作品が現れた、のだと思います。
☆☆☆☆☆

タタール人の砂漠(ディーノ・ブッツァーティ)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 僕が勝手にイタリアの安部公房と思っているブッツァーティ。著者略歴で必ず触れられているタイトルなので気になっていたのですが、岩波で文庫化されたのでようやく読めました。
 国の北部の要衝でありながら、不毛の地であるため閑職と見なされている要塞に勤務することになった新任将校ドローゴ。彼はいつか来るはずの「その日」を待ちわび、焦燥と不安のなか、果てしなく続くかに見える通常任務を日々こなすのだが・・・
 あらすじからの漠然とした印象で安部公房『方舟さくら丸』のような展開の物語かと思いきや、煉獄とも呼ぶべき「仕事し、生きていくこと(そして死ぬこと)」についてのリアルな物語でした。既読の作者の小説が、もっぱら寓話の形式に仮託した「人生の一断面」を描いた物語だったので、ちょっと不意を突かれた体だったのですが、飲み込みやすいツイストのある展開でもなく、気が滅入るような競争社会と組織の人間力学が丹念に描写されています。
 転職するかしないか、組織に従順に生きるか、個人としての生活の充実に重きを置くのか、同僚との距離感は組織と相性のどちらを優先すべきなのか、といった誰にでも心当たりのある「人生の岐路」。あの時ああしていれば、という煩悶とはいつだって無縁ではいられませんが、それでは悔いのない人生とは何ぞや?という大テーマに簡単に結論がでるはずもなく。洋の東西を問わず、時代によらず、それが普遍的な問題であることが読後に重くのしかかる。
 読み手のラストの受け止めかたで印象が大幅に変わる作品でもあると思いますが、自分のような40代を迎えた人間には容赦なく突き刺さるシビアな小説です。願わくば20代で出会いたかった・・・
☆☆☆☆
※かの地でもカフカと評されているくらいだからむべなるかな、なんだけど、エンターテインメント要素の案配なんかもむしろ安部公房に似ている気がするんですよね。
※本当に重かったのは、実は「諦めること」についての物語だったからなんですが。