先日『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観たので久しぶりに見返しました。確かに撮影といい物語の構えといい、007というより映画として名作の風格があるのだけど、映画館で初めて観たときからどうしても好きになれないのは、助けようと思えば助けられるのに敢えてスルーする、という振る舞いが好きになれないから。
1つ目は、シルヴァの組織に上海で暗殺される人(モディリアーニの絵を見に来た人)、2つ目は、セヴリンの「粛清」。前者は狙撃の瞬間が敵は一番無防備なはずなのにあえて撃たせるままにしているし、後者はやろうと思えば敵を全滅させることができた※(しかもバックアップチームも近くにいると分かっていた)。ボンドガールってまあ殺されるもんでしょ、というお約束の観点もあるのかもしれないけれど、助けようとしたけど叶わなかった(不可抗力で既に死んでいた)というのと、見殺しにするのは印象として天と地の開きがある。シリーズを全部見ている訳じゃないからそういうものなのかもしれないけど、ヒーロー的立場なら最低限守るべきラインがあるんじゃないかな。
☆☆☆1/2
※自らの欲望のために悪の道を選んだ人ではなくて、不幸な生い立ちから脱出するための一縷の希望としてボンドにすがったのに、というところが余計に可哀そうだった。何でわざわざそういう設定にしたのかなと思いました。