変態的世界観を志向する映画作家として、まがりなりにもメジャーシーンで活動している監督の中では、デヴィッド・クローネンバーグとデヴィッド・リンチの「ふたりデヴィッド」が2大巨頭であるのは異論がないところでしょう。ただ個人的には、リンチには欧米アートシーンでの戦略巧者として村上隆的なにおいがして、クローネンバーグほどの「彼岸の人」的な自然体とは感じられません。
なぜあえて「ふたりデヴィッド」を引いたかというと、この映画はリンチ作品と同じにおいがしたからです。(奇しくもエレファント・マン的な意匠も登場しますね。)
というのも、いつでも行って戻ってこられる安全圏から「面白おかしいフリークワールド」を眺めているような雰囲気が感じられなかったしょうか? そしてそれは観客である自分自身の興味本位なスタンスをも逆にあぶり出し、居心地の悪さを感じずにはいられませんでした。なまじなテーマを掲げるくらいだったら、「ビッグ・フィッシュ」的なファンタジーとして描けばよかったのに、とも思います。
さて、アーバスの写真は自分が引き受けたものと引き換えに、見るものにも覚悟を促します。しかしこの映画の製作者には(「これはダイアン・アーバスの人生にインスパイアされたフィクションです」というクレジットにみられるように)それだけのものを引き受ける覚悟が感じられませんでした。
☆☆☆