僕にとっては「モーガン・フリーマン映画」というジャンルの金字塔、という意義以外感じられなかったです・・・
「過去に傷を負った心優しき大人の男で、暴走しがちな主人公へのよき助言者」というキャラクターは、ハリウッド作品では「政治的正しさ」への配慮というか対策もあって、黒人やゲイのようなマイノリティとして造型されている人物に振られることが多いのだけど、ここ10年強はその鉄板ぶりからメジャー作品ではほとんどあて書きのようにモーガン・フリーマンがキャスティングされている。ただ、磐石ぶりは疑いないし、ギャラのぶんキッチリ魅せる職人芸は認めざるを得ないにしても、少々食傷気味であるのもまた事実だった。(そのパブリックイメージを逆手に取ったキャスティングも散見されますが、本当に成功していたのは『ナース・ベティ』くらいではないかしらん?。)
ところがこの作品では、そういった醒めた気持ちも溶けるほどいい演技だった。役柄はいつも通りなんだけど。というわけで、『ロビン・フッド』『ショーシャンクの空に』『ミリオンダラー・ベイビー』が「モーガン・フリーマン映画」ベスト3となりました!(『ドライビング・ミス・デイジー』を含めると四天王。)
苦言。というか疑問。何かの要素がタガが外れたほど突出している映画を目にした時、いつも感じる疑問なんですが、フィクションなら作り手でコントロールできるんでしょ?ということ。凄惨すぎる暴力描写や不快感だけが残るニューロティックなサスペンス、テーマを伝える目的ならもっと手前で抑えられたのでは、という気持ちになってしまうのですが、いかがでしょうか。たとえばドキュメンタリーなら「こういう現実もあるということから我々は目を逸らしてはいけないのだなぁ」という意味で納得もできるんだけど、この作品の終盤の不幸と悲惨のつるべ打ちには率直に言ってついていけなかった・・・
☆☆☆1/2