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十三人の刺客(三池崇史)

 オリジナル作品において濃厚だったのが、「右肩上がりの景気を前提にした企業間闘争」という当時の現実の空気を反映した「組織の中で生きるということ」というテーマだったそうですが(これから借りて復習する予定)、今作ではこれまた世相を反映して、長期安定に陰りが見えてきた閉塞感、ともすればお互いを蹴落としあうようなサバイバルじみた社会の中で、「それでも義を通すということは?」ということがテーマになっていたように思います・・・なんてことは、どこかで誰かがもっと気の利いた文章を書かれているような気がしますので、ここからは個人的な視点に引きつけた感想メモを。(人によってはネタバレと思われるかもしれませんので念のため。)
・過剰なエログロナンセンスは監督のトレードマークですが、今作では観客の感情の弓を結末のカタルシスに向かってギリギリと引き絞る、という意味で、初めてストレートに物語に奉仕していたような気がします。(逆に他の作品では「為にするバッドテイスト」という印象が拭い難くあったので。)
・各所で褒められている稲垣吾郎演じる松平斉韶ですが、なるほど登場しただけで漂ってくる不穏な雰囲気はなかなかの好演。しかしそれを引き出した三池監督の技量にも相当なものが。谷原章介大森南朋は三池作品で初めて知ったのだけど、割と最近まで本当に得体のしれない人なんだと思ってたもんなあ・・・
・人犬とか見てると実写で「シグルイ」やれるんじゃないか、と思ったのですが、実写だと生々しすぎて娯楽作品として成立しないかもですね。
・剣戟映画として見れば平山(伊原剛志)が一番画面栄えしてましたが、個人的には「先に現場で調整しておいてくれ」「了解しました」という簡単なやりとりだけで、万事抜かりなく手筈を整えていた三橋(沢村一樹)がとてもスマートで格好良かったグッときた。実は映画としてもこの辺りが一番燃えました。新左衛門が指示をくだくだしく出さないのも信頼してる感じがして、いいんですよね。次点:石塚(波岡一喜
・新左衛門の同期のライバル的鬼頭半兵衛は、彼を「剣の腕が立つ訳でも、ずば抜けて頭が切れる訳でもないが、押されても決して退かないしぶとさがある」と評しますが、逆に言えば、そうでない自分はそれ故、心ならずも今の地位にあるのだと言いたがっていたような気がします。
 しかし果たしてそれだけでしょうか?決戦を目前に控え、一同を前にした新左衛門は「我ら十三人」といいました。便利に使われながらもどこか侍たちに疎んじられていた小弥太(伊勢谷友介)はそれを聞いてすごく嬉しそうな笑顔を見せます。島田のそういう心遣いが、ひいては先に書いたような三橋のような有能なスタッフを惹きつける所以でもあるのではないだろうか、と感じられて。半兵衛は間宮図書の家族の保護を指示していたのに、むざむざ弓矢の的にされてしまった、というのは対照的なエピソードだと思います。
・結末、「これは○○の分!」メソッドはここでも健在。
・小弥太はスーパーナチュラルな存在だったような。もっといえば髪の毛一筋ほどの差が勝敗を分ける戦いにおいての天の配剤によるものだった気がしました。(『コンスタンティン』のシャイア・ラブーフみたいな。)
・俺なら家にフッキーがいるなら女遊びなんかしないけどなあ・・・
☆☆☆☆
※追記:ツイッターで「みなごろし」の字面に苦言を呈されている方がいましたが、同感でした。結末へ繋がるキーアイテムなんだから、もうちょっと配慮がほしかったですね。