勝手にふるえてろ(大九明子)

 天才とはよく言われるところだけど、この映画で松岡茉優の凄さを初めて理解した。また受ける立場の渡辺大知の好演も大きかった。最初は鬱陶しく感じられるんだけど、話が進むにつれて、その姿勢の真っ当さが格好良く思えてくる。特に最後のやり取りのシーン、よかったですよね。

 最初はヨシカに感情移入して、その一方でニの空回りぶりに胸をかきむしられ、思い当たる節が多すぎて悶死必至。青春のままならなさというのは、いつの世も同じということですね。(ところで、ご多分に漏れず、僕も『(500)日のサマー』を連想したのですが、あちらの主人公については、終盤、気にかけてくれていた会社の人々に対して心ない発言をするところで一気に醒めてしまったので※1、気持ちよく観終ることができた分こちらに軍配が上がるかな。)

 全体としてセンスの塊みたいな演出も冴えてた。監督は人力舎に在籍していただけあって、気が利いたやりとりのキレも最高。小劇団風のダイアローグというのはこの10年くらい(もっとか?)で完全に定着した感があって、世間一般の若い人のやりとりにまでそのメソッド的なものが浸透してる気がするのだけど、一周してそれが今のリアルを映しているようにも思われました。

 名前の持つ呪術性というか、名前を呼ぶ(呼ばれる)ことが、自分をその他大勢でない唯一無二のものとしてアイデンティファイする要素として劇中いわば通奏低音のように描かれるのだけど、その流れでニの本名が最後の最後に明かされるので鳥肌が立つ思いでした。その一方で、主人公が「この世界にはその他大勢なんていないんだ」ということを知る成長の物語にもなっている。※2

 そしてあの付箋ね。色使いといい、その顛末に胸を撃ち抜かれました。

☆☆☆☆☆

※1 こちらでも似た展開がまああるのですが、理由は理解できるし、結果にちゃんと向き合うので。

※2 そもそも主人公こそが、恋愛対象をイチとニと抽象化することで、自分と同じ内面を持つ具体的な相手として向き合うことを避けてきたのだけど。

いまさらビルド

 ビルドというのは前作の仮面ライダーのことなんですが、というのは前々作であるエグゼイドでも同じような書き出しで備忘録を付けたのだけど、この2作を通して見てきて気付いたことがあったので書いておきます。

 結論、クリフハンガーの技術を洗練することに主眼があって、テーマなどは割と二の次なんだな、ということ。実際、毎回残り5分くらいでの「引き」の巧さで「え?どういうこと?」となって、ついつい子どもと一緒に全部見てしまったのだけど、結末まで見てしまった今から振り返ると、辻褄が合ってなかったり、サプライズのためのサプライズ演出であった要素も多かったことに気が付きます。「火星が滅んだ理由は?」「パンドラボックスとは?」「3国分割は如何にして収拾されるのか?」といった第1話で提示された、云わば三題噺的な要素は一応消化されたものの、蓋を開けてみれば、あ、その程度の話だったのね、というものでした。(印象としては、物体消失や密室ミステリのネタが割れたときのガッカリに近い。)

 ただ補足するならば、「クリフハンガーの技術の洗練」と書いた通り、主題歌の省略や配置換え、次回予告の提示仕方など、パッケージを含めて工夫が凝らされていて、その点だけは素晴らしかったと思います。ただもうちょっとテーマに対して真摯な姿勢で臨んでくれたらな、というのが正直な感想でした。

オートマタ(ガベ・イバニェス)

 最近アマゾンプライム映画で落穂拾いしてることが多い。この映画もそんな感じで鑑賞したのですが、意外なほど良かった。

 話は終末的世界でロボットが自我に目覚めるという、(まあ低予算と相性がいい物語ということもあると思うのだけど)過去に何回となく作られてきたようなSF。

 人類を継ぐ存在がロボットでなぜ悪い?と主張するその象られた存在の見栄えがすごくチープなのが(今だったらCGなんだからいくらでもそれらしく作れると思うのだけど)逆に面白かった。

 ただ、人類は遅かれ早かれ滅びるしかないという諦念滲む世界にあって、それでも今は生きていこうという主人公たちの意思が、不思議なほど余韻を残します。点数にすると3なんだけど、点数化できない部分に味があって好きでした。

☆☆☆

インクレディブル・ファミリー(ブラッド・バード)

語るべきエピソードがないのなら、あえて作らなくてもよかったのでは・・・というのが正直なところ。(商業上の要請ゆえ、というのは当然あると思うけど。)

アクションは盛りだくさんなんだけど、贅沢なことに、観客(私)は大概の事には慣れてしまったということなんでしょう。前作にはあったマジックがここには見当たらなかった。

☆☆☆

 

古森の秘密(ディーノ・ブッツァーティ)

 最近、何を読んでもあまり心を動かされることがなくて、年を取って感受性が磨滅してきたのか…残念なことだな、と思いなしてきたのだけど、久しぶりに読書で感動しました。

 初期作品だけあって、ディテールの異様なまでのクリアさ、突き放すような冷徹な視線、冷え冷えとした寓意、といった作者の特徴は控えめで、割とクラシカルな作り。しかし中編(というか児童文学だから?)のボリュームなのに物語中起こる事象の変転がダイナミック、それでいてリリカルだった。経験したはずのないことなのに、自らのかつての体験のかけらを反芻するような感触。

 主人公たる大佐、大風のマッテーオといった怪物的な登場人物は、しかし内側に人間的な俗欲を抱えていてそれが脆さ、弱さとなっている。しかも専制的な振る舞いの裏側では正しくありたいと渇望もしていて、その二面性が魅力的。(この二面性についてはあらゆる登場人物に及んでいて、その一筋縄ではいかないところが読ませどころになっている。)

 詩や自然描写の静的な通奏低音がある一方で、風同士の谷の支配権をめぐる戦いの描写も面白く、活劇的な躍動感もある。テーマと物語構造が一致する作品構成も見事。

古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)

☆☆☆☆1/2

いまさらエグゼイド

 エグゼイドとは前作の仮面ライダーのことですが、正直途中までは結構期待して見ていたのです。(結局最後まで面白く見はしたのだけれど。)子どもに付き合って見てただけだから、ディテールは私の妄想による補完も大きいので、それくらいの感じで読んでいただければ。

 期待していたというのは、1.ライバルのパラドが主張する「ゲームの敵キャラだからって、創造主だからといって、好き勝手にできるなんて思いあがるな」という部分は『ブレードランナー』のバッティの主張に響き合うものを感じていたのですね。

 ステロタイプなようでいて、結構ハードな内容ともなりうる考え方なので、どう決着を付けるのかと思いきや、主人公がパラドに永遠の消滅=死を仮想体験させることで「どうだ死ぬのは怖いだろう?生命とはそれほど尊いものなんだ」ということを納得させる、という展開に。いやいや、それはパラドの突きつけた問いに答えていないどころか、尊いと判断した生命にしか価値を認めないという考え方でしょう※、と非常にがっかりした訳です。

 もうひとつは2.ゲンムこと檀黎斗。彼は「エグゼイド世界」のゲームメーカーたる存在でしたが、その主張は「人間の存在意義が意思や記憶にあるのなら、それがデータとして再現されうる限り肉体と等価だ」というものでした。それってイーガンに代表されるような電脳ものSFでは割とポピュラーな考え方ですよね。彼の(肉体を)失った母親への想いなどは膨らませれば面白い要素だったと思うのですが、物語が上記のような結論に収斂していくなかで後景に退いていきました。ここもがっかりポイント。

 本来子供向けの番組ですし、シンプルな勧善懲悪が本分だとすれば必然の展開だったのかもしれませんが、もうちょっと、こう、頑張ってくれてたらなあという残念な気持ちは否めなかったのです。(医療とゲームがモチーフだったけど、医療に携わる者の覚悟みたいな面も、ちょっとびっくりするほど薄っぺらだったしなあ…)。だから、いま放送している『ビルド』はポリティカルサスペンスものとして奮起してほしいと今また期待しています。

※ここらへんは非常に危ういテーマなので、だからこそどう落とし前をつけるのか楽しみにしてたんだけど…

ブレードランナー2049(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)

 最近のリブート的続編にありがちな、ブレードランナーといえばこれでしょ?といった感じの目配せが逆に面倒くさい、という個人的感想はあるものの、お金と手間の掛かったあの世界観の再現は観ていて目に楽しく、長時間も気にならなかったという意味では充分に面白かったといえる気がします。

 自分の中でのこうあってほしい理想の続編像は、夏目漱石の『明暗』に対する水村 美苗の『続明暗』で、それは前作で提示されていた要素から推測される可能性を徹底的に追及して語りおとされていた展開を想像する、というアプローチなのですが、そのような側面は今作にも一応あったものの、食い足りない印象でした。

 公開時は小学生で、実際何を観たかといえば、ご多分に漏れず親に連れられて行った『E.T.』なのですが、映画館内にポスターが貼ってあって、なんかハリソン・フォードが出てるSFがあるんだな(そういえば予告で『物体X』もやってなかったかな・・・すごい年だな)、という漠然とした印象に留まっています。その後ほどなくして、深夜放送で『完全版』を見たり、自分も成長するにつれ小説をいろいろ読むようになって、「ああ、ハードボイルドっていうのはジャンルに拠らず使い減りしない様式だな」と感心してみたり、大学時代に『ディレクターズカット』で再会してこの世界観はやっぱり突出して凄いなと感動したり、リアルタイムで伝説化に立ち会ってきて今に至る次第です。

 というのは完全に余談でしたが、オリジナルのどこに惹かれるのか、ということを改めて考えた時、それは先ず「異質なもの(外見もそうですが思考形態の距離感も含めて)に対する本能的な恐怖感」をホラーの感触で描いているという点でした。(具体的には、眼球製作所のシーンやセバスチャン宅の邂逅、タイレルとの対面など。)しかもそれを主人公を含めた登場人物の誰をも一種突き放した演出で語っている。翻るに本作では、開巻間近からあまりに主人公たちに寄り添いすぎているという印象を受けました。原典は果てしなく続く殺伐としたやり取りの末に、最後に生まれるささやかな交情がそのコントラスト故に心を打つのだと思います。(例えば「最高の天使」を自認する執行者ラヴも、記憶が移植できる世界であるならばいくらでも代替可能なはずで、それ故の悲哀も描こうと思えば描けたと思うのですが、最強の敵役以上のものではありませんでした。)  

 そしてもう一つがディストピアの仮想体験という点。あんないつになったら止むのかわからない暗い酸性雨降りしきる閉塞的な街で暮らすのは絶対に御免だけど、映画を観ている間だけちょっと覗いてみたい、という感覚。しかし本作では(前作とのメリハリを付けるためのあえての判断だと思いますが)冒頭含むいくつかのシーンで開放的なロケーションを選択しているため、前作ほどの絶望感はありませんでした。特にラヴが衛星カメラからの視点で、遠隔ミサイルを撃ち込む(しかも部屋でネイルの手入れをしながら!)というのはSFアクションの一場面としては面白い展開なのだけど、ブレードランナーの世界観に置いてみると「面白すぎるし空間の抜けが良すぎる」ため据わりが悪い。そのような好みからすると、2049の見どころはフォークト=カンプフテストみたいなブレードランナーとしての適合診断の部屋と、いうことになるでしょうか。

 まるでアメリカン・ニューシネマか、というような結末からすると、そもそも続編に自分が求めていた指向が的外れだったんだなとよくわかりましたし、独立したSF作品として観れば色々な映像的試みもあって面白かったのですが※、 これだけ時間が経つとどうしても「ブレードランナー」かくあるべしという作品像が自分の中で凝り固まってしまうので、ないものねだりと知りながらやはり一抹の物足りなさを感じずにはいられませんでした。

☆☆☆1/2

※『her』をバージョンアップするようなラブシーンも面白かったですね。