壊れやすいもの(ニール・ゲイマン)

 ジャンルは多岐にわたっていて、どの作品もすごく面白かった。けれども(ジョージ・R・R・マーティンにも同じことを感じるのだけど)、上手すぎてさらっとしてるんですよね。なんか昔の作家だとザラっとした感触があって固有の味わいになっている部分が何かしらあるのだけど。

 好きだったのは『形見と宝』『ゴリアテ』『苦いコーヒー』『谷間の王者』、巧いなと思ったのは『翠色の習作』、ラファティだったのは『サンバード』。開かれた結末の作品がやっぱり好きだったな。

 ところで、作者解題によると『ゴリアテ』は『マトリックス』のネットパブリシティの一環として書かれたとのことだけど、なるほどそんな感じねと思うと同時にハーラン・エリスン風味もあってそこがよかったです。

☆☆☆1/2

 ※僕が密かに知られざる傑作アンソロジーとして愛しているアル・サラントニオの『999』に『形見と宝』が収められてたらしいのだけど、覚えてなかったな…

ジョーカー(トッド・フィリップス)

 どこの世界も世知辛いことになってるな、と感じました。どこでも同じことを感じているんだなと。

 アーサーを演じるホアキン・フェニックスは彼の切実さを見事に体現してたけど、考えてみたらホアキンが切実じゃないタイプのキャラクターを演じているの見たことないな…

 ただフィクションとしては、リアルすぎてどこにも接続しようがないジョーカーじゃないかと思ったのだけど(ヴィラン一人を倒したからって解決するタイプの世界観ではないので)、あのあとブルースが長じてバットマンになって、見えない敵を探して右往左往する作品があればそれはそれで見てみたい。というか、デス・ウィッシュシリーズみたいになりそうですけどね、時代も一緒だし。

☆☆☆☆

※今回のVFXは70年代NYの再現に一番使われていたのではなかろうか。訪れたくはないけど、あの時代は独特の魅力がありますね。

YKKのラジオCMについて

 あまり主義主張に関することは書かないようにしているのだけど、ツイッターに書くのも自分のスタンスとして何となくそぐわない気がして、備忘録的にここに書いておきます。

 YKKapのラジオCMで、「窓にまつわる思い出深い瞬間を切り取った」という体裁のものがある。サッシの販促イメージ広告ということでは全く正解なんだけど、その発想の根幹が何というか拭い難くマッチョイズム(適当なことばが思いつかなかった。オヤジイズムでもいいけど書いていて僕が気持ち悪い)に侵されていて、午前中なのに聞いていてゲンナリしてしまうのです。

 例としてはこういう感じ(改めて聞いていないので詳細は違いがあるかもしれません)。その1:学校で野球部に所属していた(かつての)少年が、初めてレギュラーに昇格したとき、部室の窓から見えた景色がなんだか輝いて見えた、という話。それ自体はいい話なんだけど、この部室はレギュラーしか使えなくて、それ以外の部員は外で(多分女子とかも見ている中で)着替えているという設定なんですね。それって着替える時だけは入れ替え制で(それこそレギュラーが先でもいいと思うけど)、レギュラーじゃなくても使えるようにしたらいいだけじゃないですか。合理性に欠ける選別の意識がなんというか…

 その2:サッシのカーテンに隠れた幼い男の子が、忍者や怪獣のつもりでお母さんとかくれんぼをしている。しかしある日つれてきたのは女の子だった…という話(話者はお母さん)。こんなに小さな男の子が「初めての彼女を」というのが(作り手の)面白ポイントなんだと思うけど、お母さんと2人だけの閉じた世界に、初めて他者を招き入れた=世界を拡張したというのが眼目なら、男の子でもいいはずですよね。

 まあ、重箱の隅をつつくようなことだし、糾弾したいというような強い感情でもないのですが、CM上の物語を設定するときに思わず漏れ出したと思しきそういう要素が、おそらく作り手の無意識の部分に根差していることそのものが気持ち悪かった、という話でした。CMが世に出るまでには多分何人かのチェック(スポンサー含め)が入るはずなのに、そのフィルターにもかからなかったというのも個人的にウウム…となる点だな。

きみに読む物語(ニック・カサヴェテス)

 ライアン・ゴズリング出世作となったのも納得の好演だったのだけど、物語のそのものが凡庸なので見通すのがつらかった。というか僕のような年齢の人間はそもそもお客さんではないのかもしれない。出会うべきタイミングというのはあるものですね。

サスペリア2(完全版)(ダリオ・アルジェント)

 リメイク版サスペリアの余勢を駆ってだと思うけど、こちらもアマゾンで配信になっていたので再見。と、いいながら完全版は初めてです。20分も長いからどの部分かと思ったら、ほぼアーシアの母ちゃんの面白キュートな場面に割かれていた。こちらを完全版とする監督の愛を感じます。 

 ところで、エドワード・ホッパーの「ナイトホークス(絵画)」の再現が一部で有名なのだけど、改めて見てよく分かりました。でも何故かそこだけ人物が静止してるんだよね。あれってロケなのかセットなのか。これに限らず、町のおばあちゃんがニュースを見ている場面への繋ぎ方(主人公の街頭の会話からシームレスに部屋にカメラが入っていく)とか、全般に美術が特異な凝り方をしている。夢幻的。

ホドロフスキーのDUNE(フランク・パヴィッチ)

 つくづくホドロフスキーは誇大妄想狂の人なんだと思いました。普通に考えたら実現するはずがない。でもなんか魅力的でもあるのだろうと画面から伝わってきました。(逸話から想像するにジョブズの現実歪曲空間もそういう感じだったのではなかろうか?)

 ところで、ネットが今のように発達する前の頃、ホドロフスキーのことを「コミック・アーティスト」と紹介していることがあって(実際にはバンド・デシネ原作者だったわけだけど)、ああ実はそういう出自の人だったのか、と勝手に納得してたのだけど、実際は『デューン』準備の縁で知り合ったメビウスと合作した、という時系列だったのだと今回ようやく分かりました。

☆☆☆

300 〜帝国の進撃〜(ノーム・ムーロ)

 正直、あえて作る必然性のなかった凡庸な続編という印象ですが、『フレンチ・コネクション』が(おそらく)負けっぱなしだとすっきりしない、という理由で続編が作られたような感じだったのかな…。まじめに凡庸さの理由を考えると、前作は戯画化された軍国主義がおぞましくも笑っちゃうという話で、本来、観客は『スターシップ・トゥルーパーズ』的なリテラシーを求められる映画だったのだけど、今回はテミストクレスという理知的な人が主人公になったため、良くも悪くもテーマがぼやけてしまったせいではなかろうか。

 個人的には、世界史の教科書を読んで、想像だけで興奮してた「クセルクセス親征」「サラミスの海戦」みたいなキーワードがビジュアル化されて、実際はこんな感じだったんだ!と思ったり(多分8割フィクションだけど)、敵役のアルテミシアが不憫すぎてギリシャ滅んでいいんじゃないかと思いながら観ていました。あとプロダクションデザインがパトリック・タトポロスだったのはやっぱりギリシャが舞台だからだったのかなと思ったり。

☆☆☆