思い出したこと

 映画を観ているとき、「今、映画観ているな!」という画面構成や演出が一体になった映画の構築力そのものに感じ入ることがあるけど(『寝ても覚めても』等)、一方で『愛がなんだ』等そういう「映画的感興」はないけれど面白いという作品もあって、違いはなんだろう、と常々思ってきた。蓮實重彥のいう映画の良し悪しはその辺りのことなのだろうか?

 というのも、蓮實重彥は意外なほどタランティーノを高く評価しているけど、僕も(そういうことを知る前に見た)『イングロリアス~』の冒頭などに、堂々とした「映画」を感じて、いわゆるパルプフィクションのフォロワー達とはそもそも完全に格が違うんだなと思ったことがあったから。※

 ところでこのメモを書こうと思った脈絡は、ゴダールが亡くなって、そういえばタランティーノのバンド・アパートって『はなればなれに』から採っているんだったよな、と思い出したから。

※僕は別に蓮實信者って訳じゃないけれど。