やはり『ブレードランナー』で提示された未来都市のインパクトを更新するのは無理なのか・・・この作品では最初から刷新へのチャレンジなど諦めて、最新技術による洗練の方向で勝負していたのはむしろ潔くて良かったのかもしれません。猥雑なアジアンテイスト、酸性雨、ネオンサイン、遍在するネットアクセスという所謂サイバーパンクとされてきたビジュアル。80年代から『ブレラン』の線を狙ってそれ風の映像作品が今に至るまでたくさん作られてきた訳ですが※1、単純に予算が足りなかったり、センスがなかったりで残念な結果に終わっているものが多い中ではなかなか健闘していたといえそうです。(オリジナルの方はパルプ雑誌のケバケバしさの再現路線だったけれど。)
ただ、「大規模な戦争後に世界は二つのエリアに分かれて争いを繰り返してきた」という世界観含め、ディック的設定への目配せが意外とあるにも関わらず、あまり閉塞感は感じられません。また、「夢の世界」の肝は落下にあり!とばかりに意識的に垂直方向のアクションが強調されますが、存外「現実崩壊感覚」に代表される悪夢感にまではリーチできていなかったように思います。
オリジナルでは「今この世界は、現実なのか、それとも仮想世界の続きなのか?」の判断に戸惑い、必死に説得する悪役の「冷や汗」で見破るという印象的なシーンがありましたが、この作品ではそれがあるものに置き換えられています。それこそが今回のリメイクの方向性を端的に示すものだったと思うのですが、考えるに、ワイズマンは根本的な志向が「健全」であるが故、表層的な意匠でこそ「閉塞感」を描いてはいますが、ハートの部分ではあまりディック的な世界観に興味がなかったのではないでしょうか※2。僕が意識しないところで惹かれていたものは、R・スコットしかり、バーホーベンしかり、画を通して訴えかけてくる戦中派の諸行無常のリアリティだったのかもしれない、などということを考えました。
☆☆☆
※1 「マックスヘッドルーム」とか、割と好きだったなあ。思うにアジアンテイストのビジュアルの導入というのは、朝鮮戦争とかベトナム戦争で目にしたり体験したことの影響が、ある程度のラグを経て映像として顕在化したということだったのかもしれませんね。(既に誰かが指摘しているのかもしれないけど。)
※2 実際、最初から『追憶売ります』ではなく『トータル・リコール』の方のリメイクだった訳ですが。