何となく監督は(ちょうど同じくらいに出てきた人ということもあり)ダーレン・アロノフスキーになり損ねた人、という印象があって。それはさておき、この映画はドレンの造型に尽きる、と思いました。悪趣味に走り過ぎない範疇で生物が本質的に持つ曰くいい難いグロテスクさ、不快さを(架空でありながら)リアルに再現しつつも「造られたもの」の哀しみみたいな雰囲気も併せ持つデザイン。例えば『イベント・ホライゾン』のあの世とこの世を繋ぐ装置の意匠が「これに触れたら絶対まずい」という禍々しさを湛えていたように、「その作品の世界観を一発で分からせるビジュアル」があると強いし、それは映画というメディアならではの特性だと思います。
ということを書いた筆の先も乾かぬうちになんですが、この物語のホラーとしてのテンションが最高潮になるのは、女性主人公があれほど憎んでいた母親同様、自身の過剰な母性がいつしか支配欲に転化してしまうところ。巡る因果のおぞましさ。だからこそ男性主人公の「結局、君は自分の自由になる子供じゃない何かが欲しかっただけなんだ」というセリフは余計だったというか、もっと観客のリテラシーを信用してほしい気がしました。せっかくドヨーンとした気分になったところなのに興醒めです。
苦言ついでに。娯楽作品なのでわかりやすい結末、あるいはツイストが必要という要請あってのことだとは思うのですが、やはり終盤の「大事件」は蛇足の印象が拭えません。その前の「なんということをしでかしてしまったんだ・・・これからどうしたら・・・」というところで終わらせた方が余韻もあってよかったのでは、という気がしてなりませんでした。
☆☆☆1/2(ドレン役のデルフィーヌ・シャネアックに☆半分)