文明の基盤が「呪力」と呼ばれる念動力に置かれている遠い未来。人々は頭脳労働に従事し、肉体労働はバケネズミという遺伝子操作された鼠を使役することで賄われていた。一見穏やかに見える小さな共同体。しかし早季は社会を律する厳格な「倫理」に歪さを感じ始めていた。だが本当の脅威は別のひずみから訪れようとしていたのだ・・・
読んでいて連想したのは『マトリックス』でした。というのは、作者が好きだと思われる要素をこれでもかとぶち込んで、なおかつ破綻せずに読者をエンターテインするパーツとして全体に奉仕させている、というその手腕に。類似する設定を思いつくまま挙げると、グロテスクだけどユーモラスなクリーチャー:『アド・バード』3部作とその元ネタの『地球の長い午後』、延々と洞窟の地獄めぐり:『指輪物語』、子供たちの冒険:『IT』ほかS・キングの諸作や『光車よ、まわれ!』、といったところ。
登場人物が平板で類型的という批判もあるかと思いますが、ページターナーに特化するという目的からするとこれはありだと思いました。むしろ気になったのは、地の文というべきナレーター=早季の独白が、普通の日常語をベースにしている(書き言葉ではない)のに、妙に難し目の言葉やレトリックを挟みこんでくる部分(しかも文脈からすると微妙に使い方を誤ってたりするのが・・・)。三島由紀夫(最近だったら佐藤亜紀)のような全体がペダンティックなスタイルの作家だと違和感がないのだけど、ちょっと格好つけな感じがして。もっとも、物語がドライブしてくると気にはならなくなったのですが。(ごめんなさいもう一点、現在の世界とは断絶が在るという設定なのに、現在の感覚をベースにしていることわざや言い回しが出てくるのは配慮がほしかったですね。これは異世界を舞台にしたSFでは要注意点だと思うのだけど。)
ええと、文句はそれくらいにして。先ずもって大ボリュームという物量そのものがロード・ノベルとしての側面を「体感≒疲労感」として後押ししていて、成功していたと思います。物語のかなりを占める洞窟などの探検行は、描写の生々しさもあり、リアルに息苦しさを感じられてグッときました(フロドとサムの険しい道行に比肩すると思います)。それ以上に面白かったのは、全体の進行がディスカッション・ノベルの体であること。誠実なエンターテインメントの作家なら、プロットに問題がないか、一つ一つ要素を検証するものだと思うのですが、その行為を各登場人物に割り振って、ほとんど常にああでもないこうでもないというやりとりをしながら物語を進めていく。それがこの作品全体のテーマ(世界を律する倫理は何をもって善悪とするのか?当事者にそれを線引きすることはできるのか?)とシンクロしていくところがなるほど巧いなと唸らされました。
ただテーマを提示する結末部のツイストは予想通りというか、結構ありふれていて残念(そこまで求めるのは贅沢なのかな?)。SFとしてのセンス・オブ・ワンダーを一番感じたのは、次の場面。舞台となる未来は過去のある大事件を契機として友愛をベースにした社会を目指しているのだけど、その実践方法のひとつとして幼年擬似性交を推奨しているんですね。それまでほのめかすだけだったのが、具体的に明かされる際、主人公にとっては当たり前のことだから「あれってそういう意味があったのね」みたいなリアクション、ええ?という読者とのギャップ!「当たり前の認識」に揺さぶりをかける手管がイーガンみたいで良かったのだけど、惜しむらくはそのあと普通に繰り返しちゃうから驚きが磨耗してしまうのですね。本当はこういうネタは短篇などの方が有効に機能するのかも。
ともあれ、全編を夢中で読んだのは事実。あれ?この感覚って・・・と自覚したのは「空中高く舞い上げられて、そこから念動力で減速、滑空する」という下巻のシーンだったのですが、「醒めてみると全く不条理なんだけど、見ている間は変だと思わない世界で、ひたすら何かから逃げている」という悪夢に実によく似ている。(悪)夢の感覚の再現というのは僕の個人的なツボのひとつなので、そりゃ面白いはずだよ!とひとり納得した次第です。
☆☆☆☆(ギリ。オチがもっとグッとくれば文句なしだったんだけどなあ・・・)
※ドヴォルザークの「新世界より」がモチーフ(「遠き山に日は落ちて」のイメージを「人類の黄昏」という背景とダブらせているのでしょう)なのですが、この年になるまで「新世界」より(抜粋した)「家路」だと思ってたよ・・・
※2愧死(きし)機構という自爆メカニズムの名前は「生殺与奪を握る作者」という意味かしら・・・
※3古強者ぶりが格好良すぎる奇狼丸の声は田中泯で再現されてました。「鉄コン筋クリート」の「ネズミ」の擦り込み?