【新訳】チェーホフ短篇集(編訳:沼野充義)

新訳 チェーホフ短篇集
 うーん・・・「新訳」は完全にひとつの市場になったけど、「新訳」のよくない側面が出ているといった印象。堅い調子のいわゆる翻訳文体が嫌いじゃないという個人的な好みは差し引いても、間違った方面に迎合するような翻訳が・・・ちょっと如何なものか?また『カラマーゾフ』の訳者解説を意識したような解説も、いささか筆が滑りすぎているような気がしました。(参考になる情報も充実していたので、悪いばかりではないのですが。)
 厳しいことばかり書いたので、収録作品についても少し。「ワーニカ」は、両親を失って靴職人のところへ奉公に出された9歳の少年ワーニカが、あまりに過酷な毎日に耐えかねて、拙いながらも故郷の祖父に手紙をだすという話。設定を書いてるだけで僕なんかはもう泣けそうな感じなのだけど、宛先の祖父はおそらく文盲という出口のなさ加減が・・・。この方向性をもっと押し進めた姉妹作品ともいえるのが「ねむい」。文字通り、寝る間も満足に与えられないほどに働かされどおしの子守娘のワーリカ。ようやく一日が終わろうという時、また赤ん坊が夜泣きを始めた。夢と現の狭間で彼女が下した決断は・・・これは異色作家のアンソロジーに収められていても違和感がないショッキングな短篇でした。(こういったシビアな描写には幸福でなかった自身の少年期の実体験が影を落としているのだとか。)ただシリアスな作品以外でも、チェーホフは子供の描写がとても上手いんですよね。
 「奥さんは小犬を連れて」はタイトルは有名なので知っていたのだけど、不倫メロドラマだったんですね。オープンエンドが一般的でなかった当時は、その点について賛否両論あったらしいのですが、チェーホフ作品の典型的な登場人物である「女にだらしない男」シリーズとしては、個人的には先日読んだ「ともしび」に軍配が上がります。応対がスマートで、やさしい人だからモテるのもよく分かる、のだけどやっぱりこの人は病気としか言いようがないな・・・という人は誰でも知人に一人はいると思うのだけど、そしてチェーホフ自身が相当な「モテの人」だったらしいのですが、この作品ではそういうダークサイドにまで切り込んでいる感じがしなかったんですよね。まだちょっと格好つけているところがある。(時系列ではこちらが後なんだけど。)
 とはいえやっぱりチェーホフは面白い。少しずつ全作品を制覇してみたいと思います。
☆☆☆1/2