少年いかにしてトルーク・マクトとなりしか、の物語。どなたかも書かれていましたが、顧みると「ハート・ウォーミングもの」の側面を強調しすぎたトレーラーのせいで、血沸き肉踊る「夏休み冒険映画」としての本分がスポイルされていたきらいがありましたね。動きで魅せる(とりわけ飛翔描写。日本の作品の演出をかなり上手に参照、咀嚼した跡が)理屈を超えたアニメートの面白さを久しぶりに味わった気がします。
ドラゴンは物語の原初に辿れるほどの昔から、通過儀礼の象徴として描かれてきた訳で、その意味ではその最新版といえるかもしれません。ドラゴンを傷つけた因果のシンメトリー性と、試練の跡をその身に刻みつける、という英雄譚の構造部分でも平仄が合っていたのは脚本としてよくできていたように思います。
ただちょっと気になったのは、杯を交わすように魚を分け合ったり、くわえた棒で境界について意思表示したりというように、互いを知り合う過程で、ドラゴンは使役される家畜ではなくて、認めた相手だから「乗せてあげている」という「知性ある高貴な獣」として描かれていたのに、結末で「僕の村にはペットがいるよ!」って何の屈託もなく言われたらなあ・・・(実は拘束具みたいな鞍も観ている間中引っ掛かっていたのだけど、あれは飛ぶために仕方ないのだ、と懸命に自分を説得していました・・・)
アニメとしての演出面で注目したのは、満天の星空(これがえらいナチュラルで凄い!)を一瞬見えるか見えないかのタイミングでよぎる影としてドラゴンを描いたり、雲の切れ間に垣間見られる「部分」を描くことで、全体像を捕捉できないほどの巨大さを演出したり、という対象そのものでなくて自然環境のリアクションとして間接的に描くことでリアルを獲得するという方法論。特に後者について言えば、(『ミスト』のラストで「天を突くような巨大な何か」が登場する部分を映画化でずっと楽しみにしてたのに、蓋を開けたら意外とガッカリだったのですが、それと比較して)これが正解!これが観たかったんだよ!と思いました。それくらい的確。
ともあれ基本性善説に基づいた真っ当な夏休み映画でした。こういうシンプルなのもいいですね。
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