アルコール依存症、宗教、傷つけてしまった妻への呵責の念、外圧ではなく、自らの内圧に耐えかねて崩壊していく個人や関係。人と人とが関わっていくことには大変な困難が伴うけれど、それでもなお、希望というものは人間同士の関わりの中にこそ見出されるべきものなんだ、という物語だと個人的には解釈したのですが。
ここからは好みの話です。冒頭の章は作者独特のセックスと独白の描写から始まります。当事者が切実であればあるほど可笑しい、という艶笑譚のニュアンスもあって。ただ全体から顧みると、ここだけ異質なんですね。下半身を露出させたまま木に縛り付けて放置とか、ちょっと飛ばしすぎなのではなかろうか。
もう一つ、主人公が見る見るうちにアルコール依存症に転落していくという描写。アル中にならねばならない必然性が飲み込めませんでした。まあ現実的には、そうなることに理由なんてないのかもしれないけれど、だからこそ気になって。
というのが、作劇上の設定、テーマを際立たせるためのギャップ、という作者の作為が比較的前面に出てしまいがちな作家なんですね(今までの作品を読むにつけても)。これは「完全に作者によって律された世界観」というタイプの小説を否定しているわけではなくて、ガチガチにコントロールされた物語でも、テーマとスタイルが一致していれば気にならない。けれどもこの作品では、物語中の事件の必然が読者に馴染むだけの説明もないまま投げ出されてしまっている。「語り」はリアリティ+ナチュラル志向なのに、枠組みは人工的という齟齬。重ねて指摘すれば「人称の意図的な不一致」なんかも技巧が先立ってしまった印象でした。
くだくだしく書いてしまいましたが、つまるところ個人的にノレなかったということですね。ところで、金子修介監督で映画化されるそうで、ちょっとえ?ってなりました。艶笑譚や人間関係の生々しさという要素からだと、今村昌平作品とテイストが通底してる気が。むしろ思い切って『転々』路線で三木聡にオファーしてみても面白かったのではないかと妄想。(というのは、もちろん藤谷文子連想です。)
☆☆☆