闇の奥(ジョゼフ・コンラッド)光文社新訳文庫版

 『Hearts of Darkness』というのは映画ファンならご存知のとおり『地獄の黙示録』の製作現場を追ったドキュメンタリーである訳ですが、何となくざっくり「監督のダークサイド」的な意味合いで捉えていたのだけど、考えてみたら「闇の心奥」つまり闇の奥の原題だったのですね。脱線ついでに。東洋神秘思想も込みなのか、戦争の後遺症なのか、不思議とアメリカにはベトナムの河を遡った奥には常識の通用しない魔境が待っている、というイメージがあるようですね。というのはこの前観た『ディア・ハンター』もまさにそんな感じで。(ダン・シモンズの短篇にもそういうのがあったような・・・あ、あれは「バンコクに死す」か。シモンズはクリシェの読み替えが得意な人だけど。)
 さてこの作品、先日読んだ短編集に収められた作品は、ロマンティックな色合いの強い、物語の起承転結がしっかりしたものが多かったので、その気分で臨んだのですが、噂どおり難解・・・というと正確じゃないけれど、アンチクライマックス志向で確かに飲み下しにくい小説でした。
 大枠では「船乗り奇譚」のパロディ。婚約者に見合った男になるために一旗上げようと象牙交易の世界に乗り込んだ野心に燃える男(クルツ)がいて、彼がジャングルの奥地に消えたというので、狂言回したる主人公の船乗りマーロウが探しに行くことになった。しかしてその顛末は、というシンプルな物語。
 さて主人公は行く先々で「クルツは只者じゃない。あの人こそカリスマだ」と聞かされ、また実際に対面した後には「彼には信念があった。彼には語るべき言葉があった」と彼自身が語ることになるのですが、具体的に何を語ったのかについては触れられず、クルツを取り巻く雰囲気について形而上的な言葉が連ねられるだけです。このように、中心たるクルツはまるでマクガフィンのように空虚で、物語は何とかそこに近づこうとするのだけど、どこまでもらせん状に迂回していくしか方法がない。
 しかもクルツという人物も「未開人を文明化し、理想郷を築く」という希望に燃えていたはずが(それもひょっとしたら迷惑な話なんだけど、さておき)いつしか「象牙」という即物的なものへ執着し、集めるために非道の所業に走るという、客観的にみれば環境によって狂ってしまった人なのですが、信念を貫くという点でブレがないことに語り手は共感を覚えるという、評価が宙吊りになった存在です。
 といったように、作家自身の意見について尻尾をつかませない作りになっているのが一番の原因だと思われますが、植民地主義へのスタンスを巡ってこの小説には賛否両論あったようで。しかしそもそもそんなことより、(実際にコンゴの河を遡行し、社員を引き取りに行った)実体験を元に、「現代社会と隔絶した世界に触れた衝撃を丸のまま再現したい」という欲求に忠実に描いただけで、結果、雰囲気重視の作品になったというのが正直なところではないかと思われました(メリハリのある話も書ける人だけに。なんだか解説の引き写しみたいな感想になったなあ・・・)。
 ところで、あとがきや解説が好きということを度々書いておりますが、(巻末にある「解説」は作品理解の手がかりとしてとても参考になったのだけど)今回の「訳者あとがき」は書かずもがなというか、舞台裏をあまりオープンにされるのもシラけるものだな、という意味で残念な感じでした。
☆☆☆1/2