戦争広告代理店−情報操作とボスニア紛争−(高木徹)

 「情報を制するものが勝負を制する」という言葉を目にすると、「決定的な情報を入手した方が勝利する」という意味だと捉えがちですが、それよりもっと上流の「情報の出所をコントロールする者が勝負を制する」ということなんだなと。そういうことが国際社会の交渉の現場では行われていて、そしてそこには日本ではあまり馴染みのない「PR企業」という存在が関わっているのだ、ということがボスニア紛争を例に非常に明快に語られています。
 極端な事件が発生した訳ではないのに(あるいは当事者双方で発生しているのに)、ボスニアサイド(PR企業)からボディブローのように放たれた「恣意的な情報」のひとつひとつが着実にセルビアを追い込み、気がついたときには取り返しのつかないところ(セルビア=悪という国際認識)まで追い詰められている、という過程がまず怖い。
 加えて、「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という定義が明確でない割りに(あるいはそれ故)使い勝手のいい言葉に着目したPR企業が、(「ホロコースト」ではそのものズバリすぎて逆にユダヤ人社会から反感を買うので)キャンペーンで積極的に利用し、ついにはそれがひとり歩きを始める恐ろしさ。
 戦争において善と悪の単純な二元論は成立し得ない、というのは常識であるはずなのに、結果として国際世論において「モスレム人=被害者」「セルビア人=加害者」という図式が成立します。シビアなところだと、(大雑把には反イスラム勢力であるはずの)在米ユダヤ人組織がモスレム人支持についたことが象徴的であるし、もっとくだけた部分でいうなら、アメリカでの受け止められ方は映画『エネミー・ライン』の世界観に端的に現れています。これはセルビア側が情報戦の重要性に当初無頓着であったからで、それがひいてはコソボ紛争における「NATO軍によるセルビア空爆」という形で民間人の血が「現実世界で」流されることに繋がりました。
 いみじくも筆者が彼らを指して「情報の死の商人」と呼んでいますが、我々が日頃目にする報道にもそういったPR企業のフィルターが掛かっているかも知れない、ということはいつも意識していたいと思います。
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