25時(スパイク・リー)

 小説を読んだときのイメージでは「幼い頃からタフガイぶらないとサバイバルできないほどのルックスで、刑務所で慰み者にされることを真剣に恐れなければならないベビーフェイスの27歳」という設定なのでモンティの想定モデルはレオナルド・ディカプリオなのだと思いました(映画ではノートンと既に知ってたけど。ちなみにジェイコブはセス・グリーンというイメージでした)。
 だから映画版はいささかトウが立ちすぎてる印象だったのです。逆に映画から入った人からすると、小説の彼は「この意気がった小僧は誰だ?」という感じだと思う。ただ脚本は作者のベニオフ自身が手掛け、リー監督やノートン主演はベニオフの希望でもあったとのこと。
 さて映画と小説の最大の相違はモンティとその彼女であるナチュレルの関係性。映画では相棒から彼女が密告者では?と吹き込まれたこともあり、そのことが苦悩の原因になっています。一方、小説での彼は、もはやそれが誰でも関係ないという諦念に支配されています(それが作品の基調にもなっている)。さらには、ナチュレルの方も「モンティが収監されたら自分の人生はもっとシンプルになる」と我知らず想像していた自分に気付き慄然とする、という描写があります。(そのため、物語のクライマックスのひとつである「クラブでのボスとのやりとり」のニュアンスも自ずと変わってくるのですが・・・)
 彼女との関係以外にも、例えば、クラブで知り合いの用心棒から高価なコートを指して「(刑期である)7年分の防虫剤は買ったのか?」と性質の悪い冗談を言われ、ここでキレるべきかと逡巡する(映画では7年なんてあっという間さ、と慰めてくれる)など、そういった一筋縄ではいかない人間関係の複雑精妙な描写が原作小説の最大の魅力でした。
 脚本はさすが原作者自身の手によるものだけあって、枝葉の的確な剪定と映画らしい要素の導入もみごと。ただあまりに映画的に交通整理されており、ちょっと物足りなかったかな。夜や朝の空気感が伝わってくる色気のある画づくりが良かったですね。
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