開幕、「ニキビがひどい人」などの所謂「映画的でない顔」のモンタージュが多数続いた後、主人公が語る「適者生存」の進化の授業につなぐという演出に、意地悪で悪趣味系の映画なのかとちょっと構えてしまいましたが、全然そんなことはなく、極めてウェルメイドな「侵略もの」でした。(とすると、どういう意図だったんだろ。)
今の時代にジャンル・ムービーを作るなら、過去の作品に対するスタンスを決めるところから始めなければなりませんが、凡作が「種々の要素を過剰にする」罠に陥りがちなところを、「ディテールを丁寧に埋める」という方法で回避していたように思います。
まず登場人物の造型。ジャンル映画なのである程度類型的になるのは仕方ないけれど、特筆すべきは悪役の不在。元凶たるグラントすら状況に流されているに過ぎません。また、それぞれの行動が理に適っているのでストーリーに素直に没入できる。例えば正体不明の怪物が徘徊していたら「眉唾話に動員できない」などとゴネる人はいなくて、すぐ捜索隊が出されるし、「寄生された、殺してくれ!」と懇願する人がいれば逡巡なく撃ち殺します。話を転がす「ためにする」イベントをでっち上げるのに四苦八苦している多くの作品と比べると何ともスマート。
加えて、地に足のついたセリフ。「ヨタカの飛ぶ速さって40kmなんだな。50は出てると思ったんだが。昔は目測で誤差3kmを外したことなかったのに」とか「やつら火星人か?」「え、火星から来たの?」「昔から火星人といや宇宙人を指すことになってんだ」みたいな、なんでもないやりとりの行間からその登場人物の人生が垣間見えるような脚本。『ドーン・オブ・ザ・デッド』がまぐれではなかったと分かったところで、『スクービー・ドゥー』も観ないといけないかな。
特殊効果がVFXじゃなくてSFXと呼ばれていた頃のホラー・SF映画、人体破壊や醜悪なクリーチャーが登場するだけで何だか得した気がしてた頃の気持ちを思い出させてくれました。ところでコーマン・スクールは錚々たる門下生を輩出してますが、トロマは結局この監督だけってことになるのでしょうか・・・
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