前回「一休さん」について書いていて思ったんだけど。
こういうエピソードがあります。「どちてぼうや」という、目にしたどんな物事に対しても「どちて?」と尋ねずにはいられない幼い子供がおりました。最初は何かと返事をしてあげていましたが、あまりの頻度にさすがの一休さんもうんざりしてしまいます。しかしその子は何ゆえ「どちてぼうや」になってしまったのか。実は彼は戦争で両親を亡くし、しかし「死」という概念の確立していない幼子であるため、「どうしてお父さん、お母さんはいなくなってしまったの?」とそれ以来何事にも問いかけずにいられなくなってしまったのです。自らもまだ少年であるとはいえ、一族が引き起こした戦争による犠牲者を目の当たりにして、とんちでは解決できない世の不条理に一休さんは深く悩むのでした・・・
というシリアスな話なんだけど、こういう場合は「はぁ〜い。面白かったぁ?じゃぁ〜ねぇ〜」といういつもの終わりの定番セリフではいささか不適なので、「はぁ〜い。どうだった?じゃぁ〜ねぇ〜」に変わるのです。
そういった情報は、HDレコーダーやDVDが充実していない昔なら、再放送を繰り返し見ている好事家同士のくすぐり的話題だったものだけれど、最近では「いきなり最終回」やら「トリビア」的なTV番組によって、繰り返し「ネタ」にされている。なんかねー、それは寂しいのですね。思い出が損耗するようで。まさに「使い捨て文明消費社会」やなーって。