きつねのはなし(森見登美彦)

 『太陽の塔』に顕著だった、夏目漱石(百輭)的の狂騒的筆致はこの作品では鳴りを潜めている。しっとりとした文章で綴られる怪奇幻想譚。「漱石先生のことなら私のほうがもっと好きなのに!」みたいな、女子高の生徒的なジェラシーのせいで客観的に読めていなかったけれど、(それで今回改めて気付いたのですが)森見登美彦って本当に上手いね。
 作者についてよく言及されるのが、バラバラに投げ出されたかと思われた断片からひとつの絵を組み上げる巧みさ。『夜は短し歩けよ乙女』は4作目にして早くもその洗練を極めた感がありました。でも個人的には、すごいと感心はするけれど(そして大変面白かったんだけれど)、「味わい」とか小説を堪能するという面からは物足りなかったのが正直なところ。要はスキルの部分の話だから。これだけ楽しませてもらってそれは贅沢というものか、と自分を納得させていたのですが・・・
 ところが『きつねのはなし』では一転して落ち着いた文章。風景描写をじっくり積み重ねることで、いつしか幽玄の世界が立ち上がってくる。そこに今までは気付かなかった「文章のリッチさ」が感じられました。あえてひとつの世界としての絵にならないように「ずらされたパズルのピース」も想像を刺激します。
 この作品を読んだ後の目で『夜は短し歩けよ乙女』をみると、同じひとつの京都のライトサイド、ダークサイド(ちょっと極端に言えばだけど)の両面を描いていたのだと気付く(李白と天城の造型に端的ですが)。平安の昔から続くホスピタリティで聞こえた「都」、しかし一方で「ぶぶ漬けでもおあがりやす」という有名な話にみられるように「京ルール」を逸脱する者には容赦ない一面もある。なんだかそういうパブリックイメージとしての「京都」とも通底している印象で、不思議と腑に落ちるところだったのですが。考えてみると、そういうある種の「分かりやすさ」というのは、作者が根っからの京都人ではなくて、奈良県出身の京都人という立ち位置によるものかもしれません。(後から「“学生の京都”だから」という大森望の評を読んで膝を打ったのだけど。)
 さて4収録作品中、一番のお気に入りは「果実の中の龍」でした。『太陽の塔』にも通じる恋の終わりの風景がとても切ない。森見氏はこういうのを書かせると天下一品ですね。
☆☆☆☆1/2