劇中、「主人公であるオダギリ・ジョーのセックスシーンのクライマックス」→「ガソリンスタンドの給油」というシークエンスがあるんだけど、今時こんなつなぎ方するのか!と思った。というのも、中学校時代、深夜に親の動向を窺いながら息を殺して見ていた『エマニエル夫人』(だか『続〜』だか)にまんま同じ編集があって、(エイゼンシュテインなどビタイチ知らないまま)「モンタージュとは何ぞや」についてユリイカ!てなったという経験がありまして。そのせいで前半しばらく落ち着いて映画に集中できなかったよ。
というのは半分冗談だけど、上記の場面もですが、主人公兄弟の関係性と父親兄弟の関係性がシンメトリーに配置されていたり、橋のメタファーがあからさまだったりと教科書的に様式的な部分が目に付いて、それはいかがなものかという瑣末なことが最初は本当に気になってしまった。ところがこの映画はそういった大きな枠組みから演出の細部に至るまで、全体を通して完璧かつ精緻なコントロールがされた作品で、(逆説的だけど)そういう小賢しいことを気にしながら観るのがバカバカしいくらいよくできている。
役者さんについて。オダギリ・ジョーはいろいろな種類の役を重ねて、それを着実に糧にしていたのだなと。人気が技術を向上させるという好例。でも最後に主人公を一喝するという短いシーンだけで場面をさらう(ガソリンスタンドの店員役)新井浩文に今回は一番感心した。まあ他のメンツは上手くて当たり前という渋いながら豪華な役者陣だからなあ・・・
ところで、「地味だが堅実な兄と派手だが不実な弟の関係性が事件を通して逆転する」という風には僕は見えなくて、表層的にはそのように見えたけれど本質的な部分は結局変わってなかった(だからこその、あの結末)という話だと思ったのだけど、意外と上記のように受け止めている人が多いようで。皆さんはどのようにご覧になったのでしょうか?
ともあれ、『シンプル・プラン』に続く、「男兄弟で観るのは微妙な映画」というジャンルの新たな金字塔。
☆☆☆☆1/2