村上春樹のいつものやつという感じで気軽に楽しく読めました。しかしながら10年ちょっと前の時点の感覚であってもちょっとだけひやひやする要素がありましたね。(正直、初期の短編には今となっては笑えないな、というものもある。作者としてそこが更新されてない、というか知ったことかと思っているのかも。)良くも悪くもそういうことを気にしてしまう(気にしすぎてしまう)感覚が自分の中で時を経て育まれてきたということかなと思いますが。
☆☆☆
村上春樹のいつものやつという感じで気軽に楽しく読めました。しかしながら10年ちょっと前の時点の感覚であってもちょっとだけひやひやする要素がありましたね。(正直、初期の短編には今となっては笑えないな、というものもある。作者としてそこが更新されてない、というか知ったことかと思っているのかも。)良くも悪くもそういうことを気にしてしまう(気にしすぎてしまう)感覚が自分の中で時を経て育まれてきたということかなと思いますが。
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(今回は批判的な文章になるので作品を楽しく読んだ方は読まれないでください。)さて初期の頃からのファンで今も「熱心な」読者というのはどれくらいいるのだろうか?最初に結論を書くと、いつもの手癖で書いたほどほどの短編集という印象でした。
『女のいない男たち』が意外と面白さの面でかつての輝きを取り戻している点もあったので今回も期待していたのだけど、わざとなのかと思うほど(というか、わざとなのだと思うけど)過去から利用してきたモチーフの変奏だけで作られていた。
そういう意味では最後の書き下ろし作品である「一人称単数」だけがこれまでになかったタイプのものでしたが、後味の悪さ(と作品上の配置)は読者に対する嫌がらせなのかと思われるほど。しかしどなたかの感想にもありましたが、過去作に登場するヒロインたちによる異議申し立てのメタファー(ということは自己批判)なのだと捉えると腑に落ちる部分もありました。僕も若い頃はヒロインのあの感じが好きだったのだけど、主人公を甘やかしすぎというか都合が良すぎる点には目をつぶっていた気がします。
それはさておき、全般的に言って、(20代、30代の作家ならわかるけれど)今の年代になっても飽きもせずセックス、セックスと書いているのはいかがなものか?単純にちょっとおぞましい。
以下、それぞれの感想。
・「石のまくらに」:近年の村上作品には「最近のトレンドも視野にいれてます」という目配せを感じることがあるけど(例えば『1Q84』ではセカイ系美少女が登場してたように)、この作品では「短歌が最近流行ってるんでしょ?」的にネオ短歌が登場してましたね。でも70年代のモードではなかったような。それはさておきこういう一期一会というのはあると思うし、そういう出会いの儚さ、掛け替えなさの切り取り方はさすがに上手ですね。
・「クリーム」:初期短編にもありそうな展開だけど、女子の意地悪さとおじいさんの造形は最近の作品でよく見かけるタイプである気がしました。普通。
・「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」:仮想の「意味がなければスイングはない」かな。
・「ウィズ・ザ・ビートルズ」:びっくりするくらいいつものパターン。おう、やってるやってる、という楽しさはあるけれど…
・「ヤクルト・スワローズ詩集」:どこかでこの文字の並びは目にしたことが、と思ったら「夢で会いましょう」だった。実は今回一番好きかも。
・「謝肉祭」:行き過ぎた「ルッキズム批判」に対する批判とも読める。アンダーグラウンド以降の視点もあるのかな。
・「品川猿の告白」:これくらいの感じが好きですね。あしか(だったかな?)とか、とぼけた動物がでてくるパターンは初期の頃から一貫してる気がします。
・「一人称単数」:先に書いた通りだけど、タイトル作品の解題は沼野充義さんの解説がよかったです。
☆☆☆
ベルティルのリアクションのくだりもさることながら、うえー…マジか?となる結末が心に残るドキュメンタリーでした。監督の意図はどうだったのかな。
ところで、俳優が再現ドラマとして演じているかと錯覚するくらい主役2人がフォトジェニックだったのと、音楽が『テネット』っぽかった(北欧スタイルなのかな?)ですね。
☆☆☆1/2
タイトなランタイムであり、良く練られた脚本だと思いました。しかし評判の高さから期待しすぎたかな。
ところで我々観客は見ている間だけあの母親に付き合えばいいけれど、主人公はこれまでの人生を依存していたと考えたら本当に絶望しかないと思いますよね…(だからってあの結末でいいのかとも思うけれど。)
☆☆☆