YKKのラジオCMについて

 あまり主義主張に関することは書かないようにしているのだけど、ツイッターに書くのも自分のスタンスとして何となくそぐわない気がして、備忘録的にここに書いておきます。

 YKKapのラジオCMで、「窓にまつわる思い出深い瞬間を切り取った」という体裁のものがある。サッシの販促イメージ広告ということでは全く正解なんだけど、その発想の根幹が何というか拭い難くマッチョイズム(適当なことばが思いつかなかった。オヤジイズムでもいいけど書いていて僕が気持ち悪い)に侵されていて、午前中なのに聞いていてゲンナリしてしまうのです。

 例としてはこういう感じ(改めて聞いていないので詳細は違いがあるかもしれません)。その1:学校で野球部に所属していた(かつての)少年が、初めてレギュラーに昇格したとき、部室の窓から見えた景色がなんだか輝いて見えた、という話。それ自体はいい話なんだけど、この部室はレギュラーしか使えなくて、それ以外の部員は外で(多分女子とかも見ている中で)着替えているという設定なんですね。それって着替える時だけは入れ替え制で(それこそレギュラーが先でもいいと思うけど)、レギュラーじゃなくても使えるようにしたらいいだけじゃないですか。合理性に欠ける選別の意識がなんというか…

 その2:サッシのカーテンに隠れた幼い男の子が、忍者や怪獣のつもりでお母さんとかくれんぼをしている。しかしある日つれてきたのは女の子だった…という話(話者はお母さん)。こんなに小さな男の子が「初めての彼女を」というのが(作り手の)面白ポイントなんだと思うけど、お母さんと2人だけの閉じた世界に、初めて他者を招き入れた=世界を拡張したというのが眼目なら、男の子でもいいはずですよね。

 まあ、重箱の隅をつつくようなことだし、糾弾したいというような強い感情でもないのですが、CM上の物語を設定するときに思わず漏れ出したと思しきそういう要素が、おそらく作り手の無意識の部分に根差していることそのものが気持ち悪かった、という話でした。CMが世に出るまでには多分何人かのチェック(スポンサー含め)が入るはずなのに、そのフィルターにもかからなかったというのも個人的にウウム…となる点だな。