いまさらエグゼイド

 エグゼイドとは前作の仮面ライダーのことですが、正直途中までは結構期待して見ていたのです。(結局最後まで面白く見はしたのだけれど。)子どもに付き合って見てただけだから、ディテールは私の妄想による補完も大きいので、それくらいの感じで読んでいただければ。

 期待していたというのは、1.ライバルのパラドが主張する「ゲームの敵キャラだからって、創造主だからといって、好き勝手にできるなんて思いあがるな」という部分は『ブレードランナー』のバッティの主張に響き合うものを感じていたのですね。

 ステロタイプなようでいて、結構ハードな内容ともなりうる考え方なので、どう決着を付けるのかと思いきや、主人公がパラドに永遠の消滅=死を仮想体験させることで「どうだ死ぬのは怖いだろう?生命とはそれほど尊いものなんだ」ということを納得させる、という展開に。いやいや、それはパラドの突きつけた問いに答えていないどころか、尊いと判断した生命にしか価値を認めないという考え方でしょう※、と非常にがっかりした訳です。

 もうひとつは2.ゲンムこと檀黎斗。彼は「エグゼイド世界」のゲームメーカーたる存在でしたが、その主張は「人間の存在意義が意思や記憶にあるのなら、それがデータとして再現されうる限り肉体と等価だ」というものでした。それってイーガンに代表されるような電脳ものSFでは割とポピュラーな考え方ですよね。彼の(肉体を)失った母親への想いなどは膨らませれば面白い要素だったと思うのですが、物語が上記のような結論に収斂していくなかで後景に退いていきました。ここもがっかりポイント。

 本来子供向けの番組ですし、シンプルな勧善懲悪が本分だとすれば必然の展開だったのかもしれませんが、もうちょっと、こう、頑張ってくれてたらなあという残念な気持ちは否めなかったのです。(医療とゲームがモチーフだったけど、医療に携わる者の覚悟みたいな面も、ちょっとびっくりするほど薄っぺらだったしなあ…)。だから、いま放送している『ビルド』はポリティカルサスペンスものとして奮起してほしいと今また期待しています。

※ここらへんは非常に危ういテーマなので、だからこそどう落とし前をつけるのか楽しみにしてたんだけど…