ブレードランナー2049(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)

 最近のリブート的続編にありがちな、ブレードランナーといえばこれでしょ?といった感じの目配せが逆に面倒くさい、という個人的感想はあるものの、お金と手間の掛かったあの世界観の再現は観ていて目に楽しく、長時間も気にならなかったという意味では充分に面白かったといえる気がします。

 自分の中でのこうあってほしい理想の続編スタンスは、夏目漱石の『明暗』に対する水村 美苗の『続明暗』で、それは前作で提示されていた要素から推測される可能性を徹底的に追及して語りおとされていた展開を想像する、というアプローチなのですが、そのような側面は今作にも一応あったものの、食い足りない印象でした。

 公開時は小学生で、実際何を観たかといえば、ご多分に漏れず親に連れられて行った『E.T.』なのですが、映画館内にポスターが貼ってあって、なんかハリソン・フォードが出てるSFがあるんだな(そういえば予告で『物体X』もやってなかったかな・・・すごい年だな)、という漠然とした印象に留まっています。その後ほどなくして、深夜放送で『完全版』を見たり、自分も成長するにつれ小説をいろいろ読むようになって、「ああ、ハードボイルドっていうのはジャンルに拠らず使い減りしない様式だな」と感心してみたり、大学時代に『ディレクターズカット』で再会してこの世界観はやっぱり突出して凄いなと感動したり、リアルタイムで伝説化に立ち会ってきて今に至る次第です。

 というのは完全に余談ですが、オリジナルのどこに惹かれるのか、ということを改めて考えた時、それは先ず「異質なもの(外見もそうですが思考形態の距離感も含めて)に対する本能的な恐怖感」をホラーの感触で描いているという点でした。(具体的には、眼球製作所のシーンやセバスチャン宅の邂逅、タイレルとの対面など。)しかもそれを主人公を含めた登場人物の誰をも一種突き放した演出で語っている。翻るに本作では、開巻間近からあまりに主人公たちに寄り添いすぎているという印象を受けました。オリジナルは果てしなく続く殺伐としたやり取りの末に、最後に生まれるささやかな交情がそのコントラスト故に心を打つのだと思います。(例えば「最高の天使」を自認する執行者ラヴも、記憶が移植できる世界であるならばいくらでも代替可能なはずで、それ故の悲哀も描こうと思えば描けたと思うのですが、「最強の敵」以上のものではありませんでした。)  

 そしてもう一つがディストピアの仮想体験という点。あんないつになったら止むのかわからない暗い酸性雨降りしきる閉塞的な街で暮らすのは絶対に御免だけど、映画を観ている間だけちょっと覗いてみたい、という感覚。しかし本作では(前作とのメリハリを付けるためのあえての判断だと思いますが)冒頭含むいくつかのシーンで開放的なロケーションを選択しているため、前作ほどの絶望感はありませんでした。特にラヴが衛星カメラからの視点で、遠隔ミサイルを撃ち込む(しかも部屋でネイルの手入れをしながら!)というのはSFアクションの一場面としては面白い展開なのだけど、ブレードランナーの世界観に置いてみると「面白すぎるし空間の抜けが良すぎる」ため据わりが悪い。そのような好みからすると、2049の見どころはフォークト=カンプフテストみたいなブレードランナーとしての適合診断の部屋と、いうことになるでしょうか。

 まるでアメリカン・ニューシネマか、というような結末からすると、そもそも続編に自分が求めていた指向が的外れだったんだなとよくわかりましたし、独立したSF作品として観れば色々な映像的試みもあって面白かったのですが※、 これだけ時間が経つとどうしても「ブレードランナー」かくあるべしという作品像が自分の中で凝り固まってしまうので、ないものねだりと知りながらやはり一抹の物足りなさを感じずにはいられませんでした。

☆☆☆1/2

※『her』をバージョンアップするようなラブシーンも面白かったですね。