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ゼロ・グラビティ(アルフォンソ・キュアロン)

 端的に言うと「宇宙、すげえ・・・」ということに尽きるのですが。
 まずキュアロンは『大いなる遺産』の監督として僕の前に現れた。映画はクラシカルな物語が要請する以上に過剰なエロスで、その歪さによって忘れがたい作品になった。次は『天国の口、終りの楽園。』。こちらも馥郁としたエロスでクラクラさせられたのだけど、青春の痛みを描く練達のストーリーテラーとして、また不意打ち故に衝撃だった長回しによって強く監督の名を印象付けられました。(間にシリーズ中唯一素直に好きといえる『アズカバンの囚人』を挟んで)そしていよいよ『トゥモロー・ワールド』が登場。ディテールに隙がないディストピアの地獄めぐり、何より伝説的な長回し(天国の口の時は余技だと思ってたのに!)によって自分の中でオールタイムベスト10を占めるに至りました。くだくだしく書いてしまったけど、つまるところ何が言いたかったかというと、ジャンルやスタイルはいつもびっくりするほど違うのにいつだって面白い監督だということです。
 然るにこの作品、部分を取り上げてみたらすべて手垢のついたクリシェの集積なのに、話の流れの淀みなさやディテールへの尋常でないこだわりで、違う次元に到達してるところが凄いと思う。(90分というランタイムが語るように)エピソードの枝葉の剪定の的確さがまずあって、それを映像面で支えるのが全編長回しのようなスタイル。ステーションと人物の全景を捉えるショットからバイザー越しにみるソユーズの画、のように流れがシームレスで(子供みたいな言い草だけど)本当にどうやって撮っているのか分からない。
 もうひとつ映像面でいえば、命からがらソユーズにたどり着きハッチから中に入るまでのシークエンス。「酸素欠乏での無重力状態」なんていうことは経験仕様がない訳だけど、かつて経験したかのような実感を伴ってありありと「体感」される。あの主観映像にはどうして酸素欠乏感があるんだろう?(実は「体重がどんどん軽くなって、地上に留まっていられなくなり、アンテナにしがみつく」というかつて見た夢のことを思い出していたのだけど。)
 「映像革命」という惹句は、かつて何度となく映画のコピーとして利用されてきたけれど、3Dである必然性という要素も含めて、真にその名に相応しい作品が現れた、のだと思います。
☆☆☆☆☆