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風立ちぬ(宮崎駿)

 宮崎監督の遺言です、といわれても、何度目だよその遺言、という気分だったのですが、評判を聞いて観に行ってみるとなるほど『ポニョ』とは違った意味で「異形の作品」でした。
 導入部分こそ普通だったけれど(そうでもないか?)、黒川家での婚礼の儀に至っては、スクリーンから狂気にも似たなにかが溢れ出て、そうだ、宮崎作品ってこんな感じだった、と深く得心した次第。何というか面白いとか素晴らしいといった感覚を超えて、むしろ恐ろしいような畏怖の心を呼び起される映画でした。ジブリ作品は止め画だとどれも一見同じように見える(高畑作品除く)し、それこそがジブリをしてブランド足らしめている大きな要素の一つですが、やっぱり宮崎監督の作るものは文字通りの意味で次元が違うような気がしました。レベルといった話じゃなくて、物語の論理とか倫理の部分で。
 ところで鑑賞前に文藝春秋の『風立ちぬ』対談を読んでいて(プロモーションに留まらないなかなか読みごたえがある好企画だったので、機会があれば是非一読をお薦めしたいのですが)、対談相手が半藤一利※だったためか夏目漱石への言及があって、まあリップサービスだったのだろうなと思っていたところ、実際に観てみると、存外、夏目漱石的世界観が導入されていて、故なきことではなかったのだなと膝を打ちました。具体的には、エピソードをつなぐ象徴的なブリッジとして二郎が幻視する世界が描かれますが、その感触が正に『夢十夜』的なんですね。それと冒頭から大学時代までを描くパートが『坊ちゃん』や『三四郎』のような世界観で。ジブリ製作で『三四郎』が観たいなあ・・・
 それと、公開前、なんだよその飛び道具!といわれていた庵野監督の起用ですが、何もかもを犠牲にして夢に邁進せざるを得ない「業を背負った人間」としての堀越二郎的人物を体現する声優としては上手い下手を超えてぴったりはまっていました。むしろ、いつも眉間に皺を寄せているような険しさを伴った声が、いつしか一本調子で平板に聞こえてくるあたり、西島秀俊演じる本庄が割を食っていたような印象すらあります。西島秀俊は本来ならもうちょっと巧くやれた気がするのですが。
 しかしまあ、全てをかけて二郎が辿り着いた地平の静かな凄まじさよ。結末に至っては席から立てなくなるくらい号泣。いいもの観させてもらいました。
☆☆☆☆1/2
※面白昭和史エピソードでお馴染みの半藤一利、ご存じのとおり義祖父が夏目漱石です。ところで宮崎駿の「病を持つ女性」像は母親の投影だったんですね。