読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ネザーランド(ジョセフ・オニール)

 9.11というのは、途轍もなく大きなインパクトを持った事件だったので、これまで小説や映画の題材として好んで取り上げられてきたわけですが、その余りの大きさ故かむしろ観念的な「何か」となってしまっていて、読んだり観たりする際には、頭では理解できても実感を伴って腑に落ちる内容になっていないものが多かった気がします。もっといえば、物語を成立させるに足る題材さがしというのがまず前提としてあって、その格好の対象となってきたという印象すらあります。もしくは映画のスペクタクルな画作りのモチーフとして「宇宙戦争」や「クローバーフィールド」のような形で取り上げられたり。つまるところあまりに表層的というか…
 翻ってこの作品ですが、主人公一家は身近なところで事件に遭遇して、心のどこかに確かに傷を負ったにもかかわらず、言語化できないいわく言い難い「不穏な何か」としてしかそれを対象化できないでいます。亡くなった中には知り合いもいるものの、身近な人間を亡くした訳でもないのにことさらに言い立てることについては抵抗もある、しかし…という距離感。そのような感じで、この小説の中では事件そのものは前景化することなく、バックグラウンドの一要素として扱われるに留まっているのも却ってリアルな感触として得心がいきました。その違いこそがニューヨークで経験した人とロサンゼルスに住む人の距離感でもあるのかもしれません。
 ともあれ、グラウンド・ゼロがミドルエイジクライシスを迎えた主人公の心象風景に擬えられている訳ですが、といって寒々しいエピソードだけで構成されている訳でもなく、重要なもう一つのモチーフであるクリケットの光景に寄せて輝かしい少年時代を思い出したり、初々しい妻との出会い、気づまりな会社の人間関係など、連想の赴くままに時制を自在に行き来して主人公の来歴が語られます。つまり「意識の流れ」の手法が採られている。いわゆる現代文学では意識の流れがモダンな形式として手法のための手法に堕しているケースもまま見受けられるけれど、ここでの使われ方は主人公ハンスの心に寄り添うためにはそれしかないという必然性が感じられました。
 個人的に特筆したいのは、クリケットに関する描写の素晴らしさ。サッカーであれ、テニスであれ、あるいは釣りであれ、およそスポーツに打ち込んだ経験がある人なら「世界と自分が調和している」かのような瞬間を一度は感じたことがあると思うのですが、あの瞬間を切り取って見せる描写が的確であるが故に、主人公にとってクリケットが特別な存在であることが自然に納得できました。(まあルールについては全く理解できなかったのだけど。)
 加えて、物語を駆動するトリックスターである、トリニダード出身の自称「実業家」チャックの造形。いかにも胡散臭くて、でも抗えない魅力も持つ男。方法はどうあれ、ニューヨークに一流のクリケットフィールドを開設するという夢への思いだけは純粋。「こういう人確かにいるかもな」と作者に思わされた時点で、読者はハンスとともに彼のペースに巻き込まれているのでしょう。しかもこの「闇雲な情熱と破滅」というパターンが『グレート・ギャツビー』へのオマージュにもなっていて、その重層的なイメージが読みどころでもあり、とても面白かったです。
☆☆☆1/2