ドラゴン・タトゥーの女(デヴィッド・フィンチャー)

 なめらかな語り口で紡がれる娯楽作。有体にいって話の骨格はどうということはない(エピソードを拾ってみれば些か過剰にセンセーショナルな線を狙いすぎているきらいもある)のだけれど、洗練を極めた演出で2時間38分たっぷりフィンチャーにもてなされたという感じ。これ以上は何を書いても蛇足ですが、俺の感想文はいずれ蛇足だぜ…と割り切って以下メモを。原作未読です。
・オープニングクレジットは禍々しさと奇妙な美しさが同居するビデオアートのような印象。そして暴力的なまでの音楽とのシンクロ、ということで何だか『鉄男』を想起させます。
・いつ如何なる時でもお洒落を怠らない、ちょっと枯れた具合がいい塩梅のミカエル。しかも男女を問わず心配りを忘れない。もちろん仕事はできる。しかし隠し切れない野性味・・・これって(この言葉だけはいまさら使いたくなかったけれど)「ちょいワル」のほとんど「イデア」みたいに完成された造形でしたね。ダニエル・クレイグという依代を得てこそだとは思うけど。あんなメガネの斜め掛け、一般人が試みようものなら大惨事ですよ。
・ベストキャスティングという点では、この映画を見た後ではルーニー・マーラ以外が演じるリスベットはちょっと想像できません。過去に癒しがたい傷を負っているが故に過剰に攻撃的な装いを選択しているけれど、身体は華奢で傷つきやすい小動物のように繊細な女の子。ということなので、タイトルは原題に即して「ドラゴン・タトゥーの少女」くらいでよかったんじゃないかと思いました。
・なので、彼女が身も心も委ねられるパートナーを初めて見つけた!というときめきこそが実はこの作品の肝だったという印象。だから連続快楽殺人の顛末なんかはプロローグ、あるいはアペリティフであって、メインディッシュは「ミカエルの敵」を追い込む八面六臂の大活躍だったのではなかろうか(リスベット原理主義者)。
・だからこそあの苦い結末が味わい深いというか。「おいおいちょっとそれはマズイよ」といいながら拒まないというシーンもありましたが、「そういう人」だというのは分かっていたはずなのに。(でもハッピーエンドで大団円だったらちょっとシラケてたと思います。)仕事ができて、人に優しく、男女を問わず好かれるような男というのは、その諸刃の剣としてモテ力を発揮する機会があれば躊躇しない、というかもっと直截的にいうと女性にだらしないことが多い。「人はあることを実行できる力を持っていたら、それを行使する欲求には抗いがたい」※という人間の本質的にもつ性(さが)というか業を描いている点で、「犯人」の抑えがたい衝動と通底している、というのは穿った観方すぎるかな?
☆☆☆1/2
※このテーマは大実業家一族のあり方や後見人の造形、リスベットのハッキング・スキルのような形で繰り返し変奏されていたように思います。