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[読書]犯罪(フェルディナント・フォン・シーラッハ)

 読む前の予想としては、人生というものが本質的に持つ不条理さを、図らずも「犯罪」を犯すに至った市井の市民の日常を描くことで切り取った、淡々としたノンフィクションの様なタッチの作品、ではないかと期待しておりました。彼我を隔てるのはわれわれが想像しているよりもはるかに薄く脆弱なものにすぎない、という点で自己認識や存在基盤に揺さぶりをかけるような。(まあ、この時点で期待しすぎ、妄想しすぎなんですが。)各方面での評判を目にすると、とてもストイックな作品であるように思われたのでした。
 ところが実際に読んでみると、意外なほど読者をエンターテインする方向で書かれた小説で。実際の事件に材を採っているということなのですが、物語自体も、ガイ・リッチーの映画かと思うようなクライム・アクションの「タナタ氏の茶碗」「正当防衛」があったり、ニューロティック・ホラーの呼吸で描かれた「緑」「愛情」があったり。読者の「こうあってほしい」と期待する事件のバックグラウンド、犯人像に過剰に迎合して描かれているような気がして、ステレオタイプな人物配置を越えてこちらに訴えかけてくる何かに乏しかったのです。
 ただ、以前から何度か書いているのですが、音楽のアルバムの曲順やライブのセットリストと同じで、短編集においては作品の配置というのが非常に重要だなと思わされた本でもありました。ありていに申告すると、最後の「エチオピアの男」には完全に泣かされてしまった。終わりよければ全てよし、でこの短編集自体の印象が良くなりました。「不幸な境遇に生まれ育った男が、数奇な運命を経てようやく手に入れた自らの家庭。しかしそれを奪われた時、彼が選んだ方法とは…」というこれまたフランク・ダラボンあたりが映画化権を取りそうなストレートな物語なのですが、ここまで徹底して直球で攻められるとね。加えていうと、ナレーターである弁護士の「私」の語り自体は抑制が効いていてその点は好ましく、物語とのギャップでグッときてしまったところもありました。(僕はルーニー・テューンズのあの無表情な声を想像しながら読んでいたのだけど。)
 ともあれ、作家自身も刑事事件弁護士で、ナチ党全国青少年最高指導者の孫でもあるとのこと、むしろ自身の人生が興味深いので、いつか機が熟せば書いてもらいたいものだと思いました。
☆☆☆1/2