30デイズ・ナイト(デヴィッド・スレイド)

 アラスカの片田舎バロウは明日から1ヶ月、昼夜を問わず闇に包まれる極夜を迎えようとしていた。突如として頻発する不可解な事件。時を同じくして、素性の知れない「よそ者」の一団が町を訪れる。彼らは好機に乗じたヴァンパイアだった。圧倒的に不利な状況のなか、町の保安官であるエバンは生き残りを賭けて住人達に協力を呼びかけるのだが・・・
 目が覚めると世界が終わっていた、というゾンビもののような劇的な華々しさがない一方で、強大な敵にみんなで立ち向かうというヒロイズムにも乏しい。「とにかく30日間何とかやり過ごすんだ」という地味な展開が逆に新鮮、かもしれないけれど(『要塞警察』風と言えなくもないけど、雰囲気はむしろ『真夜中の処刑ゲーム』でしたかね)、冗長な演出のせいか実際の尺よりも長く感じられ、何より30日の時間経過がわかりにくい(体感的には3日間くらいの話に思われて)・・・
 ところでちょっと回りくどい説明になりますが、80年代によくあったような「悪がきグループの大冒険」映画で、やるぞやるぞと思って観てたらおっちょこちょい担当がまんまとトラップに引っ掛かるという展開がありますね(ex.『グーニーズ』『イウォーク・アドベンチャー』)。あれってプロットの上手い転がし方を思いつかない時に、無理むりサスペンスを醸成する手段として機能しているのだと思うのですが、ホラーというジャンルでそれに相当するのが、「四角四面の正論や裏づけのない正義感に基づいて無茶をするキャラが、状況をより混乱させる」という展開なのではないでしょうか(ex.『テキサス・チェーンソー』)。
 何が言いたかったかというと、ホラーにおいて「そういう行動」は(理解はできるものの)概ねネガティブなものとしてストーリー上位置づけられている、あるいはそのように受け取られるような「イラッとする」演出がなされている、ということ。この映画でも同じような状況で、「主人公達がある場所に息を潜めて隠れていたら、グループの中の痴呆の気のあるおじいちゃんがストレスから突然逃走、それを助けに行った息子も犠牲に」という展開がありました。ところがそれを止め切れなかったことで自分を責めるヒロインに対し、主人公は「家族のことは誰でも守りたいさ。君だって同じことをしただろ?」と声をかけるんですね。
 そのシーンでハッとさせられて。観客の胸の内に起こるネガティブな感情をたしなめるようなセリフ。いや気のせいかもとも思ったのだけれど、クライマックスでのある重要な展開において再度念押しするかのような演出が・・・つまるところ家族の絆がテーマだったのか、と個人的には理解したのですが、殺伐としがちなホラーというジャンルであえて「優しさ」を是とする姿勢は買いたいと思いました。
☆☆☆