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拳闘士の休息(トム・ジョーンズ)

 巻末の訳者あとがきでも触れられていますが、「崖っぷちに追い詰められたときの、傷ついた人間の一瞬の光彩」を鮮やかに切り取った短編集。ブコウスキーの作品のような「俗性を極めた先に垣間見える聖性」のようにも思われたし、タフな語り口はヘミングウェイのようでもあり。あとがきでは「啓示の感覚」とも書かれているのだけど、実際に表題作である「拳闘士の休息」ではよく知られたドストエフスキーや使徒パウロの癲癇発作説を引き合いに出して、そのものずばりについて触れられています。これはジョーンズ自身が側頭葉癲癇を患っているからとのこと。この「癲癇」については、作品中繰り返し登場するモチーフになっています。※
 とにかく圧倒的に生々しい臨場感で描く「戦争」を扱ったpart1が印象深いけれど、(そこまでの極限状況ではありませんが)実は僕にもそういう感覚には憶えがあって、ここ一番という瞬間に、今何を為すべきかがクリアに見渡せる「世界を動かしているシステムの歯車とピッタリ自分が噛み合った」と思える瞬間の「あの感じ」をありありと描き出しています。
 ところで出てくる登場人物は、道を踏み外したような人々ばかり。普通、いわゆる大人は「無茶してみたい衝動」を飼い慣らしながら生きているものだけど、彼らは本能の赴くままに、常識に従えばそっちは絶対マズいという方向目指して全力で突っ走ります。作者が自身を投影したものかは分かりませんが、それが読んでいて清々しい。久しぶりに「自分にはできない体験をする」という読書の原初的な快楽を味わわせてもらったような気がしました。
 特に良かったのは、彫刻の体つきからモデルとなった拳闘士の人となりを想像する場面も見事な「拳闘士の休息」、女たらしのクズ野郎が捩れた洞察に至る「ワイプアウト」、逆に危険な男との恋に取り憑かれた女性の顛末を描く「アンチェイン・マイ・ハート」でした。しかしどれも本当に傑作です。
☆☆☆☆
※脳内麻薬物質や癲癇発作による啓示の感覚を冷徹にSF的に腑分けすればイーガン作品になるのでしょうね・・・