コンラッド短篇集(ジョゼフ・コンラッド)

 岩波版です。映画好きにとってコンラッドというと、まず『地獄の黙示録』として映画化された『闇の奥』の作者ということになると思うのだけど、それに先行する『アギーレ 神の怒り』も同作を下敷きにしていたり、近年だと(この短篇集にも収録されている)『エイミー・フォスター』が『輝きの海』として映画化されたりと映画との縁浅からぬ人でもあります。※ちなみにイギリス時代のヒッチコックが『密偵』を『サボタージュ』としてこれまた映画化しているのだけど、『密偵』の原題であるところの『The Secret Agent』と同タイトルである『The Secret Agent』という映画も撮っていて、これはご存知『間諜最後の日』であって、原作はサマセット・モームというややこしいことになっております。以上、コンラッド知っ得情報でした。
 それはさておき、何となく「難易度が高い小説なのではないか?」という先入観が昔からあって肝心の『闇の奥』も未読だったのですが、短篇からなら入りやすいかもと今回読んでみた次第。結果、これは相当面白かった!いい意味で大衆小説のダイナミズムが感じられるし、「物語」の醍醐味を味わえるように思います。収録作の共通要素を挙げるなら、種類は違えども「極限状況に置かれた人間がとる行動とその心の動きの不可思議さ」。
 これはどうやら作者の来歴と密接な関係があるようで、(解説を読んで初めて知ったのだけど)最終的にはイギリス国籍を取得していますが、元々ポーランドの没落貴族の末裔で、父親独立運動に関わったかどでシベリアに流刑にされ、両親と死別した後はフランス商船員となってアンダーグラウンドな取引に関わったり、それから今度はイギリス船に乗り込んで、東南アジア、オーストラリア、アフリカと文字通り「7つの海を股に掛けて」航海したプロの船乗りだったのだとか。ここで特筆すべきは、つまり母国語でない言語で小説を書いた人なんですね。
 そうと知って読んだから、ということもあるけれど、体験を活かした生々しい現場のリアリティがある一方で、物語の熱に流されない理知的な視線で描写されているのは「語りのアウトプット」にワンクッションあるからではないかと思われました。同時代人からは、大作家ではあるけれど通俗作家の範疇での評価に留まっていたのが、近年になって再評価されたという所以はその辺りにあるような気がします。
 さて特に良かった作品についての感想です。○東欧からの移民船が難破し、ヤンコーはイギリスの僻地に迷い込んだ。外国人を見た事もない頑迷な田舎の人々の中で、初めて優しさを見せてくれたのがエイミーだった。彼らはほどなく結ばれるが、それは新たな苦しみの始まりでもあった・・・『エイミー・フォスター』:悪意というより無知により煉獄の苦しみを味わうヤンコー。語り手である知的階級の主人公によって初めてその辛さが正確に理解・共感されるのだけど、もはやなす術も無く、という徹底した諦念が荒涼とした風景描写と相まって印象深かった。
 ○政治的信条も特にない、気は優しくて力持ちが取り得の大男ガスパールは、チリの革命戦争に共和派として従軍していた。ところが運命の悪戯か、王党派の零落した有力者の娘と知り合い、成り行きのままに反共和派ゲリラの頭目として領地を支配することになる。自らの存在意義である妻と娘を得て、つかの間の幸福を享受するガスパールだったが・・・『ガスパール・ルイス』:『ヴェラクルス』みたいな「南アメリカの動乱期をしたたかに生きるアウトローの矜持」を描いた作品が好きな人には堪えられない物語ではないでしょうか。完全なるエンターテインメント志向なんだけど、やっぱり通底するのは「破滅の予感」。それだけに一層ロマンが際立つ感もあり。神話に登場する巨人のようなガスパールの常識はずれのエネルギーが印象に残ります(ちょっとヘルボーイ風かも)。
 ○パリの駐在武官だったロシア貴族の青年トマソフ。彼は都会の洗練を体現するような、ある未亡人とその友人であるフランス将校に魅了される。しかしほどなくナポレオン戦争が勃発、トマソフはフランス将校の友誼により辛くもパリを脱出した。月日を重ね、ナポレオン軍はロシアから敗走を余儀なくされる結果となったが、因果により再び巡り合った彼ら2人を取り巻く状況は苛烈なものだった・・・『武人の魂』:戦争という極限状況に置かれたとき、人が取るべき行動とは、真心とは何なのか?最近の山田洋次時代劇3部作にも通じるような、日本人好みのテーマでもありますね。血肉のあるリアリティに心を打たれます。奇麗事に留まらないシビアな話なのもよかった。
 これは『闇の奥』もぜひ読まねば・・・
☆☆☆☆1/2