イングロリアス・バスターズ(クエンティン・タランティーノ)

 最初、バスターズって「始末屋」の方だと思っていたのだけど、「you bastard!」の方だったんですね。それはさておき、この映画の概要を知ったとき連想したのはアルドリッチの『特攻大作戦』でした。「ならず者部隊が戦局の趨勢を左右する一か八かの作戦にチャレンジする」というストーリーの枠組のみならず、どうやら連合国軍とナチスの立場を相対化するような視点が導入されているらしいという点で。(内容に少し触れます。)
 実は結構前に『特攻大作戦』は観ていたのですが、どうにも自分の中で消化できないところがあって、感想を書けないまま今に至っていたのでした。この映画は2部構成で、前半は「特赦を条件に、生きて帰ることの難しいミッションへ凶悪犯罪を犯した兵士から編成される部隊が募られる。正規軍からはバカにされていたが、頼もしく有能な指導者であるライスマン少佐に鍛え上げられ、彼らは正規軍との模擬戦を見事勝利する」というもの。(例えば『がんばれベアーズ』のような)はぐれ者が一致団結してエリート集団に勝利する、という一種の典型なんですね。この部分はアルドリッチの得意な「男の意地」のぶつかり合いでもあり、ライスマン:リー・マーヴィンの好演もあって、観ていてとても盛り上がる娯楽作品の王道演出です。ところが後半、ミッションの遂行の部分になって俄かに雲行きが怪しくなります。作戦内容は、少数部隊でナチスの上級将校が夫人・恋人を連れて集う館を奇襲し皆殺しにする、というもの。しかしこのシビアな局面で、「婦女暴行犯のメンバーが欲望を抑えられずに女に襲い掛かり、仲間にやむなく殺される」という展開や「封鎖した館を軍人、民間人もろとも爆殺することに土壇場で逡巡する部下を叱咤し、(丸腰で右往左往するゲストの描写を挟んで)躊躇なく遂行するライスマン」という演出があったりと、ストレートなカタルシスを意図するなら不必要なノイズが。戦争なんてそんな汚いもんだよ、というメッセージなのかとも思ったのですが、それにしても前半と後半でのトーンの齟齬は何なのだろうかと飲み下せないままだったのでした。 
 さて本作、映画秘宝ロマンポルシェロマン優光が「一方的に踏みにじられるナチス側軍人に同情を禁じえない(かもしれない)」という趣旨のレビューを寄せていました。確かに戦争映画においてどう扱ってもいいパブリックドメインの悪役みたいなことになっているナチスですが、バスターズのその名に違わぬ鬼畜ぶりに対して、この映画では仲間を裏切るくらいなら虐殺されることも厭わない清廉な将校や仲間の子供の誕生を祝福する若い兵士たちが登場して、登場人物たちの人間性が相対化される演出になっています。実はこの物語の最終地点も「戦意高揚映画に集うナチス将校(含む婦人)をもろともに爆殺」なので、その点でも『特攻大作戦』に似ている。ただ、この映画では「正義の名の下に行使される非道」という点で一本筋が通っているため、全体としての平仄は合っているという逆説。加えてもう一方の首謀者が「家族の復讐」というもっともなモチベーションに基づいているため、違和感もありませんでした。
 ところで、敵役ランダ大佐を演じるクリストフ・ヴァルツはカンヌ受賞も納得の名演。実質的な主人公ではなかろうか。エキセントリックな怪演に逃げなかったのは偉い(当然タランティーノも、ということですが。)実際、作品中最もサスペンスフルな場面は、バスターズの暴虐ではなくて真綿で首を絞めるようなランダ絡みの会話劇でした。よくこういう役者を見つけてくるよなあ・・・(『キル・ビル』のマイケル・パークスの時も思ったけど。)よく見つけた、という点では儚いながらも凛とした力強さのあるヒロインを演じていたメラニー・ロランが特に良かったです。(『真夜中のピアニスト』ってどこで出てたっけ?)
 役者がらみでいうと、ティル・シュヴァイガーは結果的に同胞を裏切る役ですが、本人は「ドイツ系」アメリカ人みたいにワンクッションある訳でもないので、ああいうのは他人事ながら大丈夫なのかと心配になります。もっとシビアな例では『パラダイス・ナウ』に出る一方で、『キングダム』にも出演していたアシュラフ・バルフムもいるから、まあ映画とはそういうものと割り切っているのかな・・・
☆☆☆☆