夕陽のガンマン(セルジオ・レオーネ)

 俺は同じセルジオでもコルブッチ派なんだな、と。
 ファンですら指摘するほどだけど、やっぱり冗長な印象が拭えない。例えば一時期タランティーノ(とそのフォロワー)のトレードマークだった「三竦み」。その原点であるところのレオーネによる演出は、タメにタメて「もう勘弁してもらっていいですか?」というところでようやく爆発。それぐらい引っ張る。
 また別の例を引けば、登場人物の人となりを語るエピソードがあった場合、「物語の進行上の要素」という機能を逸脱するほどのくどい描写で徹底的に書き込む。これは『続・夕陽のガンマン』ですが、こすっからくて、上手く立ち回ることにのみ長けたキャラクターだと思われたアグリー(卑劣漢)ことトゥーコが、絞首刑から辛くも脱走して代わりの銃を店で選ぶ際、握った感触や精度に物凄く拘り、意外や銃の名手だったことが分かる、というシーンがあります。正直言ってそこまで描く必要はない。TV版なら丸々カットしても話は繋がる箇所です。
 しかし銃のメンテナンスを怠らないという描写がその後も続くように「狡猾なだけでなく、命を預ける武器への執着があってこそ修羅場を生き抜いてこれたのだ」と、それが観客を納得させる演出の一貫性となっているのもまた事実。また、そういうシーンの積み重ねが映画としての「豊かさ」(手垢の付いた表現であれですが)の源でもあって、レオーネ作品独特の魅力になっている訳で。
 でも、やっぱり見終わった印象としてはもうちょっと短かったらなあ・・・というのが率直なところ。そういえば今頃気付いたのですが、この頃から既にして弾着のエフェクトはとても工夫されていたようですね。相手の帽子を弾き飛ばして、拾おうとするとまた弾く、という定番の挑発シーンもそうだけど、この映画で感心したのは「召集された手下が、ボスに腕が鈍ってないのをアピールするのに拍車を弾いて回す」という場面。止まったときに拍車が欠けているという芸の細かさも素晴らしかった。マカロニらしい「ケレン味溢れるガンファイト」というのは、こういう弾着技術があったればこそだよなあと思ったことでした。
☆☆☆1/2